「神の予言を授かった皇后が、崩御した天皇の御子を体内に宿したまま、海の向こうの異国を平定した……」記・紀は神功皇后について、神がった伝説を遺している。とうてい現実とは思えない逸話の数々は、宮廷で語られた古い神話がベースにあった。神功皇后伝説から古代日本の「秘史」に迫る。
『武者かゞみ 一名人相合 南伝二』(国立国会図書館蔵)より、神功皇后。

卑弥呼の事績が神功皇后紀に
取り入れられた理由とは

 神武天皇から始まる皇統譜の古い系譜部分をにわかには信用できない。なぜなら、『魏志』倭人伝に記載された女王卑弥呼と女王台与が皇統譜から排除されているからである。

『日本書紀』の編者は神功皇后の事績の一部に倭人伝の記事を註記の形で挿入し、皇后と倭の女王の対比を試みている。これは、ヤマト王権の歴史上、中国の正史で実在が明らかな女王卑弥呼の存在を軽視できなかったことを物語る。

 しかし、神功はあくまで「女王」ではなく、「皇后」でなければならなかった。女王制は男王の統治とは原理が異なる。父子直系主義による皇統の統治を日本の起源とする上で、ヒメ・ヒコ制(兄妹・姉弟のペアによる首長制の組織)にもとづく女王制が前史として存在したことを認めるわけにはいかなかったのだ。

 だが、記・紀の中には「女王制の終焉」を思わせるエピソードが残されていた。以下に、順を追って説明したい。

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