イラスト/フォトライブラリー
江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 武士の家に生まれても、次男三男の人生は暗かった。
 武家は長子相続が原則である。長男が病死でもしないかぎり、次三男は家督を相続することはできない。
 次男三男は仕事もない、金もない、結婚もできないという、夢のない人生を送らなければならなかった。
 なかには武芸や学問、絵画などで身を立てた者もいたがごく少数である。多くの者はぶらぶらと遊び暮らしていた。

 御家人鵜野家の次男として生まれた金十郎は将来に希望がないのを知るや、
 青山の傘張り職人に弟子入りして、腕を磨いた。
 嘉永二年(1849)、金十郎は親方から一人前と認められた。金十郎は鵜野家の屋敷も出て、傘張り職人として独立する決意をかためた。

 さて、しゅんは青山百人町に屋敷がある御家人の娘だが、三味線が得意で、浄瑠璃の師匠をしていた。
 稽古場にはしゅんの色香が目的で、多くの御家人の息子たちがかよっていた。金十郎も浄瑠璃が好きで稽古にかよっていたが、 しゅんと深い仲になってしまった。
 親方はふたりの関係を知ると、金十郎が独立することもあり、世話をしてしゅんと所帯を持たせようとした。時に、金十郎二十二歳、しゅん十六歳である。

 ところが、これを聞いておさまらないのがしゅんの弟子たちである。すでにしゅんは少なからぬ弟子と関係を持っていたのだ。
 同じく御家人の息子三人が金十郎にさまざまないやがらせをおこなった。金十郎は気弱な性格で、反抗するどころか、ひたすら忍耐している。これがますます三人を増長させた。
 ついには、しゅんの実家である武家屋敷内の井戸に金十郎を投げ込んだ。

次のページ 金十郎が死んでしまったことで、事件は表沙汰に