三河の市場城を攻めた際のお話。まさに「知る人ぞ知る」レベルの城ではあるが、予想よりも楽しめる城だった。

 この城の特徴は、あまり高くはない「しょぼい」石垣。市場城は、徳川家に仕える鈴木氏が築き、天正18年(1590)の関東転封まで地域支配の拠点として利用された。天正11年、鈴木氏は所領の加増を受けるとともに、城内に石垣を築いた。石垣の築造年代が不明な城も多いなか、市場城は年代がはっきりとわかる貴重な例といえる。

二の丸周辺に残される石垣

 写真で見ると、壮大な石垣が存在するように見えるが、高さは最大で4メートル前後。積み方は乱雑であり、これ以上の高さは無理という悲壮感さえも漂う。

巨石の周囲にはめ込まれた石垣

 ほかの城にも類例があるものの、位置的には排除可能であり、演出効果に重点が置かれている。
 石垣は、本来的には防御性を高めるために築かれたものであるが、市場城については、見た目重視、もしくは、あまり石垣を築くのが得意ではない徳川家が試験的に築いたとも想定できよう。

 この石垣が積まれる数年前には安土城が完成しており、石垣によって防御された城が出現しつつあった。織田信長や豊臣秀吉は、穴太衆と総称される石垣集団を管理下に従えており、石垣築造の技術は、いわば「門外不出」とされていた。

 市場城の石垣は、城主の鈴木氏個人といより、家康自身が安土城の壮大な石垣を見た衝撃から石垣の城が欲しくなり、見よう見まねで築いたという仮説も成り立つ。このころ、徳川領内に築かれた石垣の城としては大給(おぎゅう)城があげられ、この城の石垣についてもあまり高くなく、実験的に築かれた雰囲気が醸し出されている。

 なお、しょぼい石垣であっても、見る価値がないという意味ではなく、石垣の歴史を考える上では、とても価値があり、これだけ中途半端な高さの石垣が逆に類例が少なく、見ごたえがある。