イラスト/フォトライブラリー
江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 渋谷に中山寺という修験者が住んでいた。
 中山寺は妻を迎えて十年になるが、まだふたりのあいだに子供がなく、ひたすら子宝に恵まれることを願っていた。

 文政七年(1824)十一月十四日、中山寺は駕籠に乗り、芝切通しを通って帰宅する途中、思わずとろとろと寝入ってしまった。
 夢の中で、ひとりの僧侶が五歳くらいの男の子を連れて現われ、「この子は、そのほうの子になる」と告げるや、姿が消えた。
 同時に、中山寺は目が覚めた。籠の中からあたりを見まわしたが、誰もいない。そのとき、子供の棺をかついだ葬列の列があるのに気づいた。
 中山寺は駕籠かき人足に命じ、葬礼の列のあとをつけさせた。

 葬礼の列は金地院にはいった。中山寺が寺に問い合わせると、「とむらわれるのは七戸藩南部家の家臣 木村弘の三男銀次郎で、五歳で病死した。戒名は寒園童子」という。
 いったん帰宅した中山寺は、あらためて、「寒園童子追善の回向のため」として金地院に金を贈った。
 また、中山寺は家に「寒園童子」と書いた札を貼り、日々、祈っていた。

 中山寺の妻が身ごもり、文政九年二月、いよいよ臨月になった。
 ある日、貼っていた寒園童子の札が消えている。中山寺が不審に思っていると、その日、妻が男の子を出産した。
 男の子は生まれてから数日たっても、両手のこぶしを固く閉じている。いろいろとこころみたが、こぶしはひらかない。ここにいたり、中山寺は思いいたった。
「この子は、金地院に葬られた銀次郎の再生に間違いない。銀次郎の墓の土で洗えば、ひらくであろう」

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