かつて、家制度のシンボルとして、社会の隅々にまで浸透していた家紋は、現代社会にあっても形を変えて暮らしの中で輝いている。日本人の心と伝統美の中に溶け込んださまざまな家紋の姿を探る。
監修・文/楠戸義昭
1940年、和歌山県生まれ。毎日新聞社編集委員を経て歴史作家に。著書に『あなたのルーツが分かる 日本人と家紋』『日本人の心がみえる家紋』『城と姫』『山本八重』など多数がある。
社紋。出雲大社「二重亀甲に剣花角」
鹿島神社「三つ巴」 写真/起定伸行

 東日本大震災の津波と原発事故に打ち勝とうと、避難先からも駆け付けた多くの参加者も含めて、今夏も勇壮な相馬野馬追いが福島県相馬地方で挙行された。圧巻は甲冑をまとい、大きな旗指物を背負った五百人ほどの男たちが、馬をぶつけ合って、空に打ち上げられた御神旗を奪い合い、幸いを地域に呼び込もうとするもの。背中に翻る旗指物に、大きく自家や由緒ある昔の家紋が染め抜かれ、まさに原野に家紋が躍動する祭りである。

 祭りといえば、神霊の乗る神輿に付いた紋は三つ巴が圧倒的に多い。巴紋は八幡宮の神紋である。総本山の大分県にある宇佐八幡宮は三つ巴紋。全国に二万五千もの八幡社があって、巴紋は神紋の王者であり、霊験あらたかな護符なのだ。

 巴紋は諸説あるが、水が渦巻く形とされ、雷除けの水呼び紋として、八幡社以外の神社の瓦にも用いられている。また勾玉をかたどったとも、弓を射る時に使う鞆の紋様ともされる。注目は八幡が軍神としての応神天皇を主神とすることだ。母の神功皇后が新羅遠征で渡海した際、その腹にいた。巴紋はその応神天皇が胎児だった時の姿ともいわれる。

 京都の夏を彩る祇園祭り。山鉾巡行の先頭をきる長刀鉾をはじめ函谷鉾、月鉾など鉾の天辺高く、織田信長と同じ紋の木瓜紋が大きくデザインされている。祇園祭は八坂神社の祭礼だが、木瓜紋は宮司をつとめた紀氏の家紋だった。この祇園祭の起こりは、素戔鳴尊を神体とする三つ巴紋(八坂神社神紋)をつけた神輿を迎える前に、自分たちの生活圏を祓い清め、魔物を退散させるために、山鉾が練り歩いたことに起源をもつとされる。

次のページ 神紋がない伊勢神宮の場合