岐阜在中の歴史作家・鈴木輝一郎がゆるりとめぐる、戦国武将の史跡。
つい見落としてしまいがちな渋い史跡の数々を自らの足で訪ね、
一つ一つねぶるように味わい倒すルポルタージュ・ブログシリーズ開幕!

時代はいろいろと変わる……つわものどもの夢のあと

 なにせ何十年も生きていると、歴史常識が変化してます。われわれの時代は「いいくにつくろう鎌倉幕府」だった、とか、武田信玄や足利尊氏の肖像画がどうも違うらしいとか、いろんな具合。

 あ、今回は桃山城(=伏見城のこと)の話です。

 

 戦国時代の後期、織田信長が桶狭間で戦ってから、徳川家康が大坂の陣で豊臣家を滅亡させるところまでのことを、いまは「織豊時代」というらしい。
 これはまあ、政権のメインになってる人の名前からとってるから納得できますわな。

 おなじ時代のことを、ぼくらの世代では「安土桃山時代」とか「安土桃山文化」とか教科書で習いました。
 岐阜在住の身としては、「これってむしろ『岐阜桃山時代』じゃね?」と思いましたな。
 信長が岐阜城にいたのは永禄10年(1567)から天正4年(1576)の9年間。これに対して安土城にいたのは天正4年(1576)から天正10年(1582)の6年だけなわけですから。
 まあ、それを言い出したら「大坂城はどうなるんだ?」とか、いろいろ異論が出てキリがないから「織豊時代」っていうことにしたんでしょうけどね。

 安土城は以前にもやったんで、今回は京都まで足をのばし、伏見城こと桃山城に行ってきました。

 どどーんと山の中腹に、いきなりでっかい駐車場とウォーキングコースがある……けど、車がぜんぜん停まってない。

 案内してくれた京都の知人に聞いてみると、ここはかつては遠足の定番コースだったとのこと。

 立て看板によると、元は「伏見桃山城キャッスルランド」っていう遊園地だったそうな。平成15年にキャッスルランドは閉園され、伏見桃山運動公園として再開されたそうな。

 

 天守閣はというと、大天守と小天守のふたつがならぶ、ずいぶんと立派なもの。

 天守閣は本来、城の象徴みたいなもので、あまり実用を考えていない。大坂城の天守閣も、大坂の陣のときでさえ物置に使われてたそうですから。天守閣に住んでいたのは安土城の織田信長ぐらい。
 でも、この規模だと中で生活できるよね。

 

 現在は耐震強度の関係で建物の中には入れませんが、撮影はできる。
 この日は平日だったんですが、意外と歴史マニアにとっては楽しい場所らしく、小一時間いた間に次々と車が停まって写真を撮るひとがけっこういる。

 ちなみにこれは鉄筋コンクリート製の模擬天守閣。史実にどの程度忠実なのかは、まあ、さまざま。
 日本人はお城好きというよりもむしろ天守閣好き。岐阜城とか墨俣城とか桃山城とか、伊勢戦国時代村には安土城の模擬天守閣もある。
 そのうち写真が溜まってきたら模擬天守閣の話をしますね。そのうち、ですが。