かつて、家制度のシンボルとして、社会の隅々にまで浸透していた家紋は、現代社会にあっても形を変えて暮らしの中で輝いている。日本人の心と伝統美の中に溶け込んださまざまな家紋の姿を探る。
監修・文/楠戸義昭
1940年、和歌山県生まれ。毎日新聞社編集委員を経て歴史作家に。著書に『あなたのルーツが分かる 日本人と家紋』『日本人の心がみえる家紋』『城と姫』『山本八重』など多数がある。
新歌舞伎座の正面には、シンボルマークの「鳳凰丸」。:写真/起定伸行

 今年、建替えられて再開場した歌舞伎座の正面玄関上の櫓に掲げられた、鳳凰丸の紋がひときわ目につく。初代座主の福地桜痴が法隆寺由来の紋様を歌舞伎座紋にしたもので、瓦、提灯、座席など随所に使われている。鳳凰は古代中国では、麒麟、亀、竜とともに四瑞として尊ばれた想像上の鳥である。

 この歌舞伎が、江戸時代、公家や武家だけが用いていた家紋を大衆に浸透させ、庶民もまた家紋をもつきっかけになった。その江戸歌舞伎の華として三升紋がある。

 荒事の創始者といわれる初代市川団十郎が演じた「暫」。豪勇を振るって、弱者をいじめる悪人たちを完膚なきまでにやっつける主人公は、紅の筋隈に身丈より長い大太刀を佩く。そして柿色の素袍の袖に、巨大な三升が描かれる。江戸っ子はこの正義に熱狂し、三升紋を守護札のように持て囃した。

 三升紋は大中小の三つの升が入り子になった意匠。稲妻をかたどったとも、出身地の甲斐市川村で、京枡の三升を一升としたことによる紋ともいい、団十郎は貞享元年(一六八四)に定紋とした。成田屋を屋号にする市川団十郎系に代々受継がれ、現在の市川海老蔵も三升紋であり、替え紋は杏葉牡丹である。

 九代団十郎の門下から出た市川猿之助は名前にちなんで三つ猿紋。屋号は沢瀉屋なので、沢瀉紋も家紋とする。

 貴人から柏餅を扇にのせて賜った初代尾上菊五郎は、これを記念して「重ね扇に抱き柏」紋。松本幸四郎は四つ花菱紋で、中村歌右衛門は揚羽蝶紋である。

 坂東三津五郎の三つ大紋は、初代の父坂東三八の三と屋号の大和屋の大を組み合わせた。また坂東系に養子で入った現在の玉三郎は花勝見を定紋とする。

 各家には歌舞伎十八番という当り狂言がある。これを他家が演じる際、例えば団十郎系の「暫」の時は肩衣に三升紋を付け、中の着付けに自家の紋をつける慣例がある。十八番にした家に敬意を表わすためだ。

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