信長小牧山城の面影②

 山の麓の東面はいくつかの帯曲輪で区画されており、かなり大規模な土塁が周囲にめぐらされています。左の写真はその断面部分を展示してくれているのですが、高さは大体4mといったところ。土の層が何重にも重ねられており、丹念に突き固めていった様子をうかがうことができます。これは小牧の戦いの際に築かれたもの。

 

 信長の時代にはこの土塁は無く、曲輪は堀で囲まれていただけで、外部とツライチだったようですね。

 

 一方、信長の時代からあったのがこれ。東南端にある一番広い帯曲輪です。帯曲輪自体はすべて信長時代からですが、この写真の402号曲輪は最大規模で、信長の日常用の館が置かれていた可能性があるとされています。たしかに広い、野球場がとれそうだ、と思ったら、一辺が75mもあるとか。かつては中学校があったそうです。筆者はその当時にも何度か来ているのですが、まるで記憶がありません(苦笑)。その後盛り土面を削って本来の地表を復元、発掘調査をおこなったそうです。