イラスト/フォトライブラリー
江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 文化二年(1805)、武州秩父郡小鹿野村(埼玉県小鹿野町)の荒松玄怡という医師のもとに、内侍局という京都の公家のお姫さまと、安藤若狭という家来が逗留するようになった。
 内侍局は、父は日野大納言、母は常代御前で、七歳のころから御所に勤めていた。歌道に精進したいため、四、五年前に御所勤めを辞め、以来、全国を旅しながら和歌を詠み、修業を続けているという触れ込みだった。
 荒松は、たまたま近くを旅していた内侍局の評判を聞き、「ぜひとも、拙宅にご逗留ください」と、自宅に招いたのである。

 以来、荒松宅に落ち着いた内侍局は、訪ねてくる近郷の者の望みに応じて、和歌を書いてあたえたり、疱瘡(天然痘)やはしかのお守りをあたえたりしていた。京都のお姫さまからいただいたということで誰もがありがたがり、多額の謝礼を置いていった。

 この噂を耳にした八州廻り(関東取締出役)の役人が不審をいだいた。内偵を進め、翌年の一月、内侍局と安藤若狭を召し取った。
 召し取られたとき、内侍局は下げ髪で、ひたいに眉を描き、紫縮緬で鉢巻をしていた。御納戸茶の襦子の打掛、小紋の絹の小袖、下着は鬱金紬の小袖を着て、黒びろうどの細帯を締め、紫色の絹の座布団に座っていたという。
 取り調べたところ、ふたりとも真っ赤な偽せ者ということが判明した。

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