教師による不祥事が後を絶たない。生徒が教師の支配から抜け出すことは不可能なのか。すべての教師は、教師であるがゆえに隠れた暴力性を有している、と指摘するのは、高校教師として37年のキャリアを持ち、教育分野で問題提起を続ける諏訪哲二氏だ。最新刊『教育改革の9割は間違い』より解説する。

教師と生徒は対等なのか

教師自身も無自覚な暴力性。 

 25年ほど前になるが、私が「プロ教師の会」(埼玉教育塾)として『ザ・中学教師』シリーズなどで学校現場の実情を問題提起しはじめた頃、いま「尾木ママ」として名高い教育評論家・尾木直樹氏などの中学教師グループと深夜テレビでディスカッションしたことがあった。

 そのとき、尾木氏の仲間が教師と生徒の関係を「説得と納得」という語呂合わせで表現していた。教育に強制はあってはならず、すべてお話し合いで解決できるというのだ。
 教師は考えを押しつけるのではなく説得し、生徒はそれに納得して従う。だから、そこに上下関係や強制はないといいたいらしい。人間と人間のやさしい理性的な関係だという。

 ここで少々むずかしい分析をする。

「説得と納得」は、リベラルで合理的な関係のように聞こえる。文字どおり対等な「商取引」(等価交換)に見える。説得と納得は等価だからスムーズに交換(売り買い)され、そこに強制性はないということのようだ。
 これは、教師と生徒を対称関係ないしは相似形と見なす考えである。昔よくあった「オレについて来い」と同じ構造である。この認識には大きな問題がある。

 対称関係、相似形という教育関係論は、教師と生徒が同質のものであるから生徒は教師のいうことに素直に従うはずだという隠された前提がある。生徒が「納得しない」可能性をまったく想定していない。いや、納得すべきだという確信を隠し持っている、というべきだろうか。

 
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