イラスト/フォトライブラリー
江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 小川町に屋敷のある旗本萩原主水は息子の鉄三郎の妻に、同じく旗本の鍋島家の娘知賀を迎えることにきめ、無事に結納もすませた。嘉永二年(1849)のことである。このとき、鉄三郎は二十二歳、知賀は十九歳だった。
 なお、主水は屋敷内に、四十五歳になる妾を住まわせていた。鉄三郎はこの父の妾と馬が合わず、日ごろから冷たい関係にあった。

 結納をすませると、じきに婚礼となる。いったん結婚してしまうと気軽に芝居見物に行けなくなることから、知賀が願って、鉄三郎の妹勢井、十七歳とともに芝居に出かけた。
 芝居見物のあと、知賀は萩原家の屋敷に泊まった。

 その夜、鉄三郎は刀を抜き放つと、婚約者知賀と妹勢井が寝ている部屋に押し入った。まずは、知賀の顔面に斬りつける。知賀が驚き、刀を防ごうとしたため、指二本が落ちた。
 隣りに寝ていた勢井が驚いて飛び起き、逃げようとしたところを、背中に斬りつけた。
 騒ぎを知って、まず父の主水が駆けつけた。「何をするのじゃ」背後から鉄三郎を抱き留めた。ところが、鉄三郎は逆上していて、相手が誰だかわかっていない。組み止められたまま、背後の主水の脇腹を刀で突き刺した。
 騒ぎを聞きつけ、家来ふたりが駆けつけ、ようやく鉄三郎を取りおさえた。

 

 旗本家における不祥事である。本来なら、すみやかに鉄三郎の首を斬り、その後、「息子が乱心したので、成敗しました」と届け出るのが一番いい。
 ところが、肝心の父親である主水が腹部を刺されて手負いのため、刀をふるうことができない。家来ふたりも、主人の息子に刃をふるうわけにはいかない。

 けっきょく、その場で成敗することはできず、後日、落ち着きを取り戻した鉄三郎があらためて自害した。なお、騒ぎがおきたとき、主水の妾はとっさに押入の中に隠れて、無事だった。

 それにしても、萩原鉄三郎の突然の乱心の理由がわからない。
 事件を記した『藤岡屋日記』によると、知賀にはかねてより男と密通していると言う噂があったという。そんな噂を耳にした鉄三郎は、芝居見物を男との逢引と邪推し、いろいろ考えているうちに感情が爆発したのではあるまいか。
 また、妹に斬りつけたのは、日ごろ仲の悪かった父の妾と間違えたのだと言う。