イラスト/フォトライブラリー
江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 文化十一年(1814)一月、北町奉行の永田備後守が牛込銀町に住むお園という女をほめ、褒美として五貫(五千)文をあたえたことが『街談文々集要』に出ている。
 同書に拠ると、いきさつは以下のようなものだった。

 お園の亭主の文次郎はその日稼ぎだった。行商や日雇いの仕事をしていたのであろう。
 五年前、文次郎が風疾にかかり、出歩くこともままならないようになった。風疾はリユーマチ・痛風などの総称である。
 薬を買い求めたり、医師の往診を頼んだりしたが、文次郎はいっこうによくならない。しかも、稼ぎ手が寝ているのでは、暮らしが成り立たない。
 そこで、女房のお園が看病をしながら、近所から頼まれた縫い物や洗濯をして得るわずかな金でどうにか食いつないだ。

 文次郎の体調がやや回復してからは、お園はもっと実入りのよい雇いの仕事に出たが、仕事の合間には長屋に戻ってきて、薬や食事の世話をした。夜中はずっと看病を続け、お園はほとんど満足に寝たこともなかった。
 困窮のなかにあっても夫をささえつづけているとして、その評判が北町奉行所の役人の耳にはいった。そこで、奉行の永田が、「実貞奇特」として、お園を褒賞したのである。

 

 たしかに美談には違いない。しかし、考えてみると現代でも、夫が難病になった、あるいは交通事故にあって下半身まひとなったとき、妻が働いて家計をささえ、看病を続けたという例はたくさんある。
 もちろん、大変なことである。だが、厚生労働大臣が、あるいは自治体の長が表彰して金一封を授与することはないであろう。
 逆から考えると、江戸時代、お園のような女は珍しかったからにほかならない。これまでに何度も書いてきたことだが、江戸時代、武士と庶民を問わず、離婚や再婚、妻の駆落ちは多かった。夫が病に倒れて働けなくなった場合、愛想をつかし、見捨てて逃げ出してしまう妻は少なくなかったのである。