起死回生を狙った日本海軍と
栗田中将をめぐる悪評

栗田健男中将は水雷戦隊司令官を歴任したように典型的な水雷屋コースから出世街道を歩んだ人物である。どんな提督にも毀誉(きよ)褒貶(ほうへん)はつきものだが、一緒に戦った軍人のなかには「消極的」「敵を避ける傾向がある」などと評する者もいる。そのイメージはレイテ沖海戦の「謎の反転」で決定的となるが、ほかにも戦意や指揮に疑問を呈する声がある。

たとえば、昭和17 年(1942)6月5日のミッドウェー海戦では、支援隊の第7戦隊司令官として重巡洋艦4隻を率いたが、ミッドウェー島砲撃作戦の中止後、反転した「最上」と「三隈」が衝突したにもかかわらず2艦を置き去りにして立ち去ったことがある。最上は自力で退避したが、三隈は翌6日、敵の艦上爆撃機の攻撃を受けて沈没した。ただし、これについても主力部隊との合流を優先させたための行動であり、置き去りにしたわけではないとの擁護論もある。

ほかにもガダルカナルのヘンダーソン飛行場への艦砲射撃やマリアナ海戦などでも消極的な行動が指摘されている。