独裁者ヒトラーに対し、密かに反旗を翻したドイツ貴族将校団の有志たち。いかにして1944年7月のヒトラー暗殺未遂事件へと繋がったのか? 「ワルキューレ」作戦の舞台裏を描く、オリジナル連載の第2回です。
反ヒトラー派の中核を担ったひとり、軍務部長フリードリヒ・オルブリヒト大将。緊急対処計画「ワルキューレ」の利用を考えたひとりでもある。

何度もヒトラー暗殺を試みるが…

 カナリス海軍大将が繋いだ反ヒトラー派の有志たちは、第二次世界大戦が勃発する前から、戦争を回避すべくばらばらで微力ではあったが随所で努力を重ねていた。だが結局は開戦に至り、緒戦こそドイツの連勝だったものの戦局は徐々に悪化。ついに1943年1月31日、スターリングラードで第6軍がソ連軍に降伏。大敗を喫してしまった。このカナリスの繋がりとは別に、反政府学生運動の「白いバラ」も独自の活動を行っていたが、スターリングラードの惨劇を訴えている最中に検挙され、複数の関係者が死刑となり根絶に至った。

 一方、将校団の間でもスターリングラードの悲劇は問題視された。軍人は詳しい戦況を理解しているだけに、軍事上意味のない個人的思惑だけで第6軍33万人を犠牲にしたヒトラーへの反感を募らせる将校も多かったのだ。

 

 その結果、1943年3月13日、反ヒトラー派のヘニング・フォン・トレスコウ少将とその副官になっていたシュラブレンドルフによるヒトラー暗殺が試みられた。軍内の随所にいる有志の伝手で鹵獲(ろかく)したイギリス秘密情報部用特殊爆弾「クラム」を入手。30分遅延の時限信管を装着した四角い形状の「クラム」2個を、同じ四角い形のボトルを持つリキュール、コアントローが2本収まった小包に見えるよう偽装。13日当日、ヒトラーとの昼食で隣席となった陸軍総司令部作戦課員ハインツ・ブラント中佐がヒトラー専用機に同乗することを知ったトレスコウは、彼に戦友への土産と称して「コアントローの小包み」を託した。

 こうして「クラム」は首尾よくヒトラー専用機のフォッケウルフFw-200「インメルマンⅢ」号内に持ち込まれたが、信管が作動せず爆発しなかった。そこで「クラム」は有志の手で発覚することなく改修され、再度用いられることになった。

 次なる刺客は情報将校ルドルフ・クリストフ・フォン・ゲルスドルフ大佐である。愛妻を亡くしたばかりで自暴自棄の彼が「クラム」を持ってヒトラーに抱きつき自爆するというプランで、同月21日にベルリンのツォイクハウスで開催される鹵獲兵器展示会の視察時に実行される手筈だった。ところが当日、ヒトラーは時間に追われて急いでおり、「クラム」起爆前に会場をあとにしたため、ゲルスドルフはすでに作動させていた時限信管をトイレで水に流して爆発を防いだ。