<第39回>

7月×日
【「○○○のような生き物」(前編)】 

 

梅雨の半ばの蒸れた匂いは、まるで南国を想い起こさせる。

匂い。それは人の記憶中枢を強く刺激する。潮混じりの空気を鼻に吸い込んだ瞬間、久しく会っていない友人の顔が共に遊んだ海の景色とセットになって浮かんでくる。すれ違いざまに嗅いだ見知らぬ女の人の髪の匂いで、かつて付き合っていた女性との日々を思い出す。

僕は、梅雨特有のこの南国っぽい匂いを嗅ぐたびに、19歳だった頃の、ある記憶に行き当たる。

そして、その記憶を掘り起こした瞬間、「わー」とか「ぎゃー」とか叫びながら、自分の頭を電柱にぶつけ記憶中枢を破壊するという、古代インカ帝国の人でもやらないであろう即席の脳手術を行いたくなる衝動に駆られる。

それは、忸怩たる想いの詰まった、記憶である。

 

19歳。僕は人生で初めて、本格的な彼女ができた。

同い年の彼女だった。

もう、浮かれまくった。

で、すぐさま調子をこいた。

 

男とは、なんと恥ずかしい生き物なのであろう。僕は「とにかく彼女から尊敬されたい」というガストのような安い安い願望を、彼女と付き合ってクイックで、抱いた。

 

尊敬されるには、どうしたらいいのだろう。

「やっぱり、教養があるところを見せるのが一番かな」。

それが、頭の中の少ないシナプスを必死で稼働させた僕なりの結論であった。

 

「知ってる?蝶と蛾って、生物学上は分類できないんだよ」

「知ってる?『徹子の部屋』って、生放送じゃないんだよ」

「知ってる?バナナって、かなり腐っても、ギリ食べられるんだよ」

「知ってる?一青窈って、よく見ると一般人みたいな顔してるんだよ」

「知ってる?東急ハンズでも、さすがにリトマス試験紙は売ってないんだよ」

 

彼女との逢瀬のたびに、僕はそんな自分の持てる限りの「教養もどき」を見せびらかした。

金も地位も権力も運動神経も学力も将来性も、ゼロすぎる19歳。彼女に「なんだ。この男はただ服を着て呼吸をしているだけの人間か」と見抜かれるのを恐れ、必死で「頭の良いふり」をしていた。

自分は、なんでも知っている人間。自分は、知性が隠しきれない人間。自分は、養老孟司の隠し子。そんな虚偽の麻酔を自らに注射し、彼女の前で偏差値の高い人間を演じていた。

そんな僕を、彼女はどう見ていたのだろう。僕が「教養もどき」をひけらかしていたときの彼女の顔を、今は思い出すことができない。あの時、僕は彼女の顔をちゃんと見る余裕などないほどに、自分に必死であった。

 

彼女と付き合い始めて半年ほど経った頃であろうか、僕たちはタイのチャン島というところへ旅行に出掛けた。

 

南国である。

リゾートである。

どうだろうか、この19歳カップルの浮かれっぷり。自分にそんな時代があっただなんて、今では信じることすらできない。

19という歳ほど、怖いもの知らずの時代もないと僕は思う。平然と、彼女と南国へ行く。当然のように、サイゼリアのドリンクバーでコーラとファンタを混ぜたものを飲んで「不味い」とか言って笑う。なんの躊躇もなく、携帯電話の裏のバッテリー部分にプリクラを、貼る。

19歳特有の安直さが、僕と彼女とを、南国旅行へといざなった。

 

 

素晴らしい旅行になるであろう期待感で、タイに着いた僕の胸は張り裂けそうであった。

その南国の地で、「教養もどき」の化けの皮がはがれるとも知らずに。

 

次回へ続く)

 

 

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