<第40回>

7月×日
【「○○○のような生き物」(後編)】 

前回からの続き。19歳の時、初めてできた彼女の前で必死に頭の良いふりをしていたワクサカさん。付き合い始めて半年後、彼女と南国のチャイ島に遊びに行ったのだが…)

 

チャン島に着いて早々に、僕たちは海へと飛び込んだ。

 

 

「見てごらん。この小さな生き物は、ヒメイカっていうんだよ」

「見てごらん。浜辺に穴があいているだろう。あれはカニの巣さ」

「見てごらん。あれはガンガゼという毒のある生き物だよ。近づいてはいけないよ」

 

 

僕は海の中でも、「教養もどき」を炸裂させていた。

海外の地でも、彼女から尊敬されたい。そんなキャパシティの非常に小さい願望に囚われた男。チャン島の浜辺に生息するどの生命体よりも志の低い生き物が、そこにいた。

 

ふたりで泳いでいると、海の水面に、なにかが浮かんでいた。濃いオレンジ色の物体。

「お、珍しい生き物か?!」

 

僕の胸は騒いだ。またしても「教養」を彼女に披露するチャンスがやってきた!

その謎の物体を手で握り、彼女の前に差し出す。

「見てごらん…」

と言いかけて、僕は絶句した。

彼女は「ひっ」と声を上げた。

 

 

それは、うんこだった。

 

 

 

どこからどう見ても、うんこだった。

逃げも隠れもしない、JIN-PUNだった。

バンド名っぽく表記したのは、食事中にこのページを読んでくれている方への、ちょっとした優しさだ。

 

さんさんと降り注ぐ太陽。蒼い海。白い砂浜。うんこを握りしめた男。うんこを男に見せられている女。

無言の時間が、流れた。

 

僕はそっと、そのうんこを波間へと戻した。

「ねえ、今のって…」と彼女が口を開いた。

「珍しい生き物だったね」と僕は強引にコメントした。「ナマコかな」。

 

その後、二人の間に流れた空気は、それはそれは凄まじいものだった。

女は「こいつ、うんこを握りやがった」と引きまくっている。

男は「なんとかして、アレは生き物だった、ということにならないか」と思案している。

こんなにもベクトルの違うカップル、いまだかつていただろうか。

 

無言で島の道を、ホテルを目指して歩く。

彼女は手を握ろうとすらしてこない。当たり前だ。さっきまでうんこを握っていた手に触れたい人間など、いるはずがない。

「今日は、疲れたね」と、重々しい空気に耐えきれず、僕の方が先に口を開く。

「…」

「ご飯、なに食べる?」

「…」

「グリーンカレーとかにしようか」

「…さっきさ」

「うん?」

「うんこ、握ってたよね…?」

「…握ってないよ」

「うそ、握ってた」

「なんのこと?ナマコのこと?」

「…ナマコじゃないよ、あれ」

「…」

「うんこだよ…」

南国の風が、彼女の髪をかきわけた。月明かりに照らされた彼女は、泣いているような顔をしていた。

 

こんな最悪な旅行になるとは。

「うんこ握った」「うんこ握ってない」論争が巻き起こる道の上で、僕は途方に暮れた。

この空気をなんとかしなくては。

あと4泊もあるんだぞ。

 

道の横に、インターネットカフェがあった。

「日本語対応」の看板が掲げられていた。

これしかない。

僕は藁を掴む想いで、そのインターネットカフェへと飛び込んだ。

彼女が訝しげな表情を浮かべて、あとを追ってくる。

 

ブラウザを立ち上げ、以下の言葉を検索した。

 

 

うんこのような生き物

 

 

必死だった。

あれはうんこでないことを、今ここで証明しなければ手遅れになる。

いや、実際、うんこなんだけど。

頼む!インターネットの神よ!さっきのうんこそっくりの生き物を、検索結果に与えたまえ!そして「ほら、やっぱりさっきのはうんこではないのさ。地球上にはうんこそっくりの生き物もいるんだね。さあ、キスをしよう」みたいなセリフを僕に言わせてくれ!インターネットの神よ!

 

 

 

検索結果。

うんこみたいな生き物など、いない。

 

 

もしかしたら僕はその時、涙目だったのかもしれない。

振り返り、彼女の瞳を、まっすぐ見つめることすらできなかった。

彼女は、外国まで来て「うんこのような生き物」とインターネットに打ち込む男を、どう処理していいのかわからない様子だった。

 

 

それから4泊、僕たちがどう過ごしたのか、記憶はおぼろげだ。

はっきりと覚えていることはひとつだけ。帰りの飛行機内で、ふたりの会話は一切なかった。

 

この世の尊き生命は、すべて神がお造りになられた。

神が、うんこのような生命をお造りになられるはずがない。

「うんこのような生き物」を検索するなど、神への冒瀆である。

天罰が下ったのだろう。帰国してすぐに、彼女とは連絡が取れなくなり、僕に残ったものは、あのとき手で握ったうんこの感触だけであった。

 

 

 

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