はびこるトンデモ名古屋論

 ところが、まさしく客観的に見て、事実と全く違うでたらめな名古屋論が横行している。名古屋に活力があるとして注目が集まった1990年代に始まり、2005年の愛知万博の前後に広まった現象である。雑誌で、新聞で、単行本で、テレビやラジオで、歴史的にも民俗学的にも事実に反する名古屋像が語られている。私はこれに対して強い怒りを覚える。郷土愛からではない。知識人としてである。事実と全く違うトンデモ言説を流す評論家や研究者がいる。それがマスコミによって流布され、後で見るように公的出版物にまでそれが掲載される。こうして、事実に反する言説が認知されつつあるのだ。

 しかも、名古屋の人たち自身がそうしたトンデモ名古屋像を信じている。地元の新聞、テレビなどマスコミにもそうしたトンデモ名古屋論が出る。ジャーナリストたちでさえ反論や批判をするわけでもなく、何の根拠もない話に納得しているのである。知の怠惰であり、知の堕落ではないか。こんなバカげた事態を、私は知識人の端くれとして見過ごすことはできない。

 私は、ある地方をからかったりジョークのネタにすることを批判しているのではない。私自身そんなことはしばしばするし、日本人は、いや世界中のすべての人々が、ある地方やある民族をジョークのネタにしてきた。むろん、そんなジョークがふさわしくない場面もあるだろう。しかし、そんなジョークが民族や地域の壁を取り払ってお互いに親しみを増すこともある。悪口を言い合いながらげらげら笑える関係が一番健全なのだ。

 それを一律に禁止する現代のおかしな「良識」の裏側に、学問の装いを凝らしたトンデモ名古屋論を横行させる原因があるように思える。そうしてみると、トンデモ名古屋論ばやりの背景には、意外に気づかれないが、現代日本の知的頽廃が隠れているのかもしれない。その意味で、名古屋論の虚実を分明にすることは日本の知的現状を検討するきっかけにもなる。

『真実の名古屋論〜トンデモ名古屋論を撃つ』より構成)