武官であり、一農夫。謎多きカリスマ西郷隆盛について、NHK大河ドラマ『西郷どん』の時代考証を担当する原口泉さんが実像を語る。(雑誌『一個人』2017年12月号「幕末・維新を巡る旅」より)。

◆人間に対する深い愛情が西郷の人格を形成する

 西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允は、明治維新でとくに大きな功績を遺したことから「維新三傑」と呼ばれている。中でも西郷は維新回天時に司令官として、また初期明治政府の中心人物として重要な案件の処理に尽力した。だが最期は逆賊の汚名を着せられてしまう。後にはその功績が認められ、上野や鹿児島に銅像が建てられ、誰もが知る偉人となった。時代とともに評価が浮沈した人物だ。

 西郷は薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛の長男として生まれた。12歳の頃、藩校造士館(ぞうしかん)からの帰路、対立していた他の郷中(ごうじゅう)の男から、鞘に差したままの刀で叩かれた。すると勢いで鞘が割れてしまい右腕を斬られ、刀を振れなくなった。以来、西郷は剣術修行を断念して学問に没頭したのである。

 18歳になると郡方書役助(こおりかたかきやくたすけ)という役職に就き、以後10年間も務めている。郡方は今で言う地方の農政課、書役はその書記で、助は見習いのこと。この役目を通じて、西郷は貧しい農民の暮らしぶりを目の当たりにしている。

「西郷ほど農政を熟知した者はいなかったでしょう。それが江戸で生まれ育ち、薩摩藩の実情に疎かった島津斉彬(なりあきら)に見出されるきっかけとなったのは間違いありません」と、大河ドラマ「西郷(せご)どん」の時代考証を務める鹿児島大学名誉教授の原口泉さん。

 斉彬が薩摩藩主に就任した際、藩士らに意見書を求めた。これは有能な人材の発掘、育成につなげることが目的であった。西郷はこの時、農政に関する建白書を提出する。それが認められ、斉彬の側近くに仕える異例の大抜擢を受けた。そして開明派の斉彬から直接教えを受けただけでなく、その使いとして当時の知識人たちと交流を持つようになる。

 
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