耳がよく聡明で、法隆寺を築き仏教を広め、推古女帝の摂政として活躍した人物──。聖徳太子に関する一般的なイメージはすべて『日本書紀』の記述が元になっている。『日本書紀』が書かれた過程を知れば、その真実の姿が見えてくる! 聖徳太子の実像に迫る連載。
平等寺 聖徳太子石像
聖徳太子伝説
1、母が宮中の厩の戸にあたった時に安産で生まれた
2、生まれながら言葉を話すことができ、聖人の智を持っていた
3、耳がよく、成人後は十人の訴えを聞き分けた
4、未来のことを予言できた
5、父の用明天皇に寵愛され、幼少期は特別に上宮とよばれる宮殿に住まわされた

◆聖徳太子超人伝説の秘密は聖徳太子の「名前」にあり!

 推古天皇(女帝)の皇太子であり、摂政をつとめたとされる聖徳太子(実名は厩戸皇子)に超人伝説があることはあまりに有名である。
 養老4年(720)に成立した『日本書紀』によれば、太子は①その母が宮中の厩の戸にあたった時に安産で生まれたとされ、②生まれながら言葉を話すことができ、聖人の智をもっており、③成人後は十人の訴えを聞き分け、④未来のことを予言できたとされる。それゆえ⑤父の用明天皇に寵愛され、幼少期は特別に上宮とよばれる宮殿に住まわされたという。

『日本書紀』以前にすでにこのような伝説が出来上がっていたようだが、『日本書紀』よりも8年前に成った『古事記』には超人伝説はみられない。このような伝説はいったいどうして生まれたのであろうか。それは太子の名前に原因があるといってよい。

 彼の正式な名前は上宮厩戸豊聡耳太子といった。
「上宮」とは、太子が壮年以降に営んだ斑鳩宮のことであり、これが太子のむすこの山背大兄王に相続された後に上宮とよばれるようになった。斑鳩宮は実際には太子の父・用明の没後に造営されたものであるが、それが天皇となった用明に起源をもつことを主張しようとして⑤の伝説が生まれたのである。