『魏志』倭人伝を読み解き、「邪馬台国=九州説」を検証する第6回!
吉野ヶ里遺跡以外の遺跡から出土しているものとは?
 


ホケノ山古墳や箸墓古墳は
4世紀に築造されたもの

 これに対し、卑弥呼が使者をだした華北の洛陽のある河南省からは、全歴史時代を通じて、確実な考古学的発掘によるものは、わずか2面しか出土していない。しかも、その2面は、いずれも卑弥呼の時代よりも、数十年以上あとの墓から出土している。

 逆に、卑弥呼のころ華北の河南省で使われていた「位至三公鏡(いしさんこうきょう)」といわれる魏晋時代の鏡の一種は、河南省から23面出土し、福岡県から7面出土している。しかし、奈良県からは、確実な考古学的発掘による出土品としては、1面も出土していない。

 ホケノ山古墳の築造年代を3世紀前半の卑弥呼の時代にもっていく考古学者が少なくないが、実際の築造年代は、卑弥呼の時代よりも100年ほど新しい4世紀のものであろう。実際に奈良県立橿原考古学研究所編の『ホケノ山古墳の研究』によれば、新しい(現在の)放射性炭素による年代測定では、4世紀を主とする年代がでている。

 ホケノ山古墳が4世紀のものとすれば、それよりも時代が新しいとみられる箸墓(はしはか)古墳なども、一部で喧伝されるような「卑弥呼の墓」などではなく、卑弥呼時代よりも100年ほど新しい4世紀の築造とみるべきなのである。

 さらに『魏志』倭人伝は、卑弥呼の宮室の様子について、次のように伝える。

 「宮室・楼観(たかどの)、城柵をおごそかに設け、つねに人がいて、兵(器)をもち守衛している」

 

《邪馬台国が九州にあったとする理由 第7回へつづく》