茶聖と呼ばれ、天下の目利きとしてその名をとどろかせた利休も、実は結構失敗を繰り返していたという。歴史研究家・小和田泰経氏は、雑誌『歴史人』2017年12月号で次のように解説している。

千利休

「利休は、茶の湯を芸術の域に高めたということから、茶聖とよばれることもある。まさに聖人としてあがめ奉られる存在となった利休であったが、失敗したこともあったらしい。
 茶室に禅僧の墨跡をかけた利休は、宋の禅僧である圜悟克勤(えんごこくごん)・密庵咸傑(みったんかんけつ)らの墨蹟を収集していた。『利休居士伝書』によると、あるとき、利休が百二十貫文(約1000万円)で購入した密庵咸傑の墨跡を、茶会で床にかけたところ、贋作であることが判明した。すると利休は、その場で焼き捨てたという。

 

 同じような話が、孫宗旦の三男宗左の覚え書きである『江岑夏書』にも伝えられている。利休が一休宗純の墨跡をかけたところ、それが原本ではなく写しであることが判明した。このとき、利休はただちにその墨跡を破り捨てたという。
 利休が同じ失敗を繰り返したのか、同じ失敗が誤って伝えられたのかはわからない」。
 失敗を繰り返して、審美眼を鍛えていったのだろうか。

『歴史人』2017年12月号「千利休の謎22」より〉