イラスト/フォトライブラリー
江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 麹町十三丁目の蕎麦屋で下男奉公をしている吉五郎は年齢は二十七、八歳で、丸顔で、体は大柄だった。
 頭は月代をそり、背中には金太郎の彫物をしていた。背中どころか、手足の甲にまで彫物をしており、所々に朱を差しているため、青と紅のまじった図柄はすさまじい迫力があった。

 この吉五郎はどういうわけか、夏でも腹掛けをして、けっして胸を見せなかった。いつしか、「吉五郎は女ではないか」という噂が流れるようになった。
 吉五郎の働きぶりはほかの男に勝るとも劣らないため、みな半信半疑だったが、四谷の太宗寺横丁に住む博奕打ちの男と関係ができ、妊娠したことから、ついに吉五郎が女であることが判明した。
 あまりに評判になったことから、蕎麦屋の主人は吉五郎に暇を出し、生れた男の子は自分が引き取った。

 その後、吉五郎は木挽町に住んでいたが、天保三年九月、町奉行所に召し捕られ、小伝馬町の牢屋敷に収監された。奉行所の吟味のため、吉五郎が牢屋敷から引き出された日、小伝馬町のあたりには一目見ようと、多くの群衆が集まった。

 

 これに先立ち、四谷大番町の大番与力の弟に、お勝という者がいた。
 どういうわけか幼いころから女の格好をこのみ、成人してからも女のいでたちを改めず、髪は丸髷に結って櫛を挿していた。着物も女物を着て、幅広の帯を締めていたので、誰しも最初は女と思ったが、よく注意して見ると、その歩き方はやはり女ではなかった。
 四谷ではお勝を「おんなおとこ」と言い、有名だった。とくに悪いことをするわけではなかったし、また与力の弟ということもあって、奉行所の役人から咎められることもなかった。
 先述の吉五郎が奉行所に召し捕られた天保三年、お勝は四十歳だった。

『兎園小説余録』に拠ったが、吉五郎はお勝をうらやましく思ったのだろうかと推量している。
 吉五郎は女でありながら、男のかっこうをしていた。
 お勝は男でありながら、女のかっこうをしていた。
 いまでいう性同一性障害だろうか。
 吉五郎は悪事を働いたわけでもないのに奉行所に召し捕られたが、いわゆる「世間を惑わす不届き者」というわけであろう。
 いっぽうのお勝は召し捕られていないのは、やはり身分制であろう。幕臣の弟だけに町奉行所もうかつに手を出すことはできないので、「奇人」として放っておいたのであろう。