千利休といえば、どちらかといえば小柄なイメージがあるが、古書によるとかなりの大男だったという記述があるという。その真偽はどうなのだろうか。歴史研究家・小和田泰経氏は、「歴史人」12月号で次のように解説している。

最期の茶を点てた後、茶碗を庭に投げつける千利休/「絵本太閤記」国会図書館蔵

「よく利休は大男だったといわれる。それは、利休の秘伝書としてまとめられた南坊宗啓の『南方録』に、大男であったとの記載があることによる。ただし、この『南方録』というのは、南坊宗啓という僧侶に仮託した江戸時代の書物であり、内容を鵜呑みにすることはできない。もちろん、古い伝承を伝えているのではという指摘もあるが、いずれにせよ、利休の生きた時代の史料として、利休が大男であったことを示す記録は残されていない。

 ちなみに、江戸時代に成立した逸話集の『明良洪範』には、逆に、小柄であったことを示すような記載もある。利休七哲の一人としてあげられる高弟の瀬田掃部が利休の茶会に呼ばれたときのことだった。この茶会で利休が用いた柄杓が短いことに注目した瀬田掃部は、自らの茶会に利休を招いた際、いつもより短い柄杓を用いた。すると、師匠の利休から、茶杓が短いことを指摘されてしまったのである。利休の言い分はこうだった。

 

「私は体が小さいので短い柄杓を用いたまでです。そなたは、体が大きいので、長い柄杓を用いなさい」。

『明良洪範』によれば、利休は小柄か、少なくとも並外れた大男ではなかったことになる。もっとも、『明良洪範』自体が、江戸時代の逸話集ということで、信憑性が特段に高いわけではない。
 利休の肖像画もいくつか残されているが、どれも、いたって普通である。大男ではなく、むしろ標準的な体格だったのではなかろうか」

 茶の達人利休は、やはりみんなが思い描いている通りの体格だったのだろう。
 
『歴史人』2017年12月号「千利休の謎22」より〉