「ブラタモリin名古屋」(NHK総合)第3弾の放送もまた高視聴率だという。名古屋ネタの番組や書籍の人気は衰えるどころか勢いを増すばかりだ。名古屋人の「県民性」なるトンデモ名古屋論を展開する評論家や研究者を徹底糾弾した書『真実の名古屋論〜トンデモ名古屋論を撃つ』がいま話題だ。著者呉智英氏がその「県民性」なるバカげた言説を一刀両断する。

猫も杓子も「県民性」

 

「県民性」は普段よく耳にする言葉である。芸能人のだれそれはどこそこ県出身者だとか、政治家のだれそれはどこそこ県の生まれだとか、そんな話をテレビや新聞で知ると、妙に納得したりする。ああ、だからあの人は明るいんだとか、あの人が冷静なのはそのせいなのかとか、何となく腑に落ちたような気になる。学校の友人、職場の同僚についても同じようなことがある。

 このように各県ごとのそこで生まれ育った人の持つ特有の性格や行動様式が県民性である。県民とはいっても、都民や府民や道民のこともあるし、大阪や京都の場合は、府民と市民の区別もつきにくいが、これらをひっくるめて「県民性」と称している。

 なるほど、経験的にそんなことがあるような気がする。

 気候温暖な地の人はのんびりした性格になり、雪国の人は我慢強い性格になりがちである。個人差はあるだろうが、人間は概して環境に応じた生き方を選ぶからだ。農村地域で自己形成期を送った人が堅実で協調型の性格になることも多いだろう。都会のように消費文化が発達しておらず、地域全体で農作業を相互援助する習慣がある所に生まれ育てば、堅実で協調型の人間になる傾向はある。都会の下町の工場街に生まれ育てば、同じ堅実型でも自分の腕一本に頼る職人のような人間になりがちだろう。そうした大人を見て育つからである。

 
次のページ 日本人を47タイプに分類などできる訳がない