日本によるパールハーバー奇襲はどのように準備され、実行に移されたのか。軍事的な時代背景とともに書き下されたオリジナル連載。今回は、海軍の運用思想に影響を与えたとされるイギリスの「ジャッジメント」作戦を描く。
タラント空襲に用いられたフェアリー・ソードフィッシュ艦上攻撃機。ご覧の通りいかにも古色蒼然とした外観だが、のちには優秀な機上レーダーを装備しロケット弾なども搭載して第二次大戦末期まで活躍した。写真では航空魚雷を抱えている。

タラント空襲と航空主兵主義の台頭

 時に、あえて下卑た表現を好んで用いたイギリス首相ウィンストン・チャーチルが「ヨーロッパの下腹部」と称したイタリア半島は、その形状から、しばしば地中海に突き出したヒール付き女性用ブーツにも擬えられる。この「イタリアン・ブーツ」のヒールの部分の内側に、イタリア海軍の南部方面における一大根拠地タラント軍港が所在し、強力な水上戦闘艦部隊の母港となっていた。

 そこでイギリス海軍は1940年11月11~12日にかけての真夜中、空母イラストリアスからフェアリー・ソードフィッシュ艦上攻撃機22機を発艦させ、夜間の奇襲攻撃によって戦艦3隻を大破着底(うち1隻は終戦まで修理できず)、重巡洋艦1隻と駆逐艦1隻をそれぞれ小破させるという、わずかな出撃機数に比して大きな戦果を得た。世界海軍航空戦史にその名を残す「ジャッジメント」作戦である。

 
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