◆たった4人で池田屋に突入

 午後10時頃、近藤隊は三条小橋西入ルの旅宿・池田屋が怪しいと目星をつける。そして、近藤、沖田総司、永倉新八、藤堂平助のたった4人で突入した。残りの奥沢栄助ら6人には、建物の周りを厳重に固めさせた。
 近藤はまず、大声で「御用改めである。手向かいするなら容赦なく斬り捨てる」と一喝した。この時、二階には倒幕派浪士らが20名ほど集合していたが、近藤の迫力に圧倒された。
 勇敢な浪士が斬りかかってきたものの、これを沖田総司が斬り倒し、乱闘が始まった。浪士らは突入してきた新選組が、まさか4人とは思わず、逃げまどい、裏庭や中庭に飛び降りて逃亡しようとした。そのため、飛び降りた浪士が裏庭に殺到し、そこが激戦地になったと言われている。

 一方、新選組はたったの4人、激戦の最中に沖田は喀血して戦線を離脱、藤堂は重傷となり、近藤と永倉だけになってしまう。
 近藤の名刀、虎徹もボロボロに刃こぼれし、危機的状態だったが、土方隊が池田屋に到着。井上源三郎ら11名が突入し、2時間ほどの激闘の末、新選組は勝利を収めた。この池田屋事件によって新選組の名は全国に轟き、尊皇攘夷派から恐れられる存在となった。

「新選組が池田屋事件で幕府に対する反対勢力の志士たちを襲撃したことは、すなわち、幕府を守る警察のような立場を明言したことになり、彼らのアイデンティティが一気に定まります。完全なる佐幕化を決定づけた事件と言えるでしょう。池田屋事件によって明治維新が1年遅れたともいわれますが、1カ月後に起きた禁門の変を、非常に大掛かりなものにしたことも事実です」と木村さん。
 少なくともこの事件により、新選組と倒幕派は、互いに敵対する立場であることが明確になった。そして、この事件は、その後の「禁門の変」へと展開していく。

〈雑誌『一個人』2017年12月号より構成〉