母の入浴介助と、映画『歩いても歩いても』

連載「母への詫び状」第八回〉

 東京から30年ぶりに実家へ帰って生活を始めると、ひとつひとつ何をしても昔の記憶がよみがえってきた。
 食器棚から取り出す皿の模様や、居間の薬箱の赤チンや絆創膏。車庫に置いてある、ぼくが中学の技術家庭の授業で作った出来損ないのイス。
 なかには思い出したくない記憶もチラホラあるけれど、ほとんどは懐かしさに心が暖まる。が、そんな感傷に浸るために戻ってきたわけではない。

 介護生活を始めてしばらくした頃、是枝裕和監督の『歩いても歩いても』という映画をDVDで観た。これが当時の境遇に重なることが多く、ずしりと胸に響く作品だった。
 主人公は東京でマスコミの仕事をしている次男。寡黙で頑固な父親とは折り合いが良くないようで、実家に敷居の高さを感じている。そんな不義理の次男が、長男の命日に、結婚したばかりの妻とその連れ子をつれて実家へ帰る。懐かしい料理で歓迎する母。ぎくしゃくした父と息子の会話。その家族の夏の一日がていねいに描かれる。

画像:GATAG

 とても印象に残ったのは、風呂場のシーンだ。
 阿部寛の演じる主人公が風呂場に行くと、丸ごと一個の大きなスイカが、バケツの水にひたされて冷やされている。田舎で育ったぼくらの世代にはおなじみの光景だ。お母さんの樹木希林が用意したのだろう。
 それを見つけた阿部寛は「おお、昔はこんなふうにバケツでスイカを丸ごと冷やして、家族みんなで食べたもんだな。懐かしいぜ」というような表情で(そんなセリフはないけど)、しばし子供に返る。

 が、次の瞬間、ふと目を移すと、真新しい手すりが浴槽に付いているのを見つける。昔のままの風呂場に、そこだけ不自然に新しい、介護用の手すり。
 一見、何も変わっていないように見えて、しかし確実に時間が流れていて、両親に老いが迫っている。もう昔のままではないのだということを、端的に描写したシーンだった。

 ぼくが実家に帰って最初に感じたのも、これと同じだ。
 家の中身のほとんどは子供の頃のまま。まるで時間が止まった星にワープしたかのように、薬箱には赤チンがある。でも、ところどころは確かに変わっていて、その変化が重い出来事としてのしかかってくる。
 玄関先に水をまくためのポンプは、故障したまま動かなかった。天井の隅にはクモの巣が付いたまま、ほったらかしにされていた。父がまともなら、母が元気なら、こんなことはありえない。
 昔と変わらない9割のあれこれよりも、昔と違う1割の異景が、夕暮家に起きている事態の重大さを教えてくれていた。

 
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