薩摩・長州両藩を中心とした「維新」を成し遂げるために、避けて通れなかったとされる「戊辰戦争」とは何だったのか。作家の星亮一さんにお話を聞き、「あの戦争」を敗れた会津藩、幕府軍の視点から考える。今回取り上げるのは、白河口の戦い・北越戦争(雑誌『一個人』2017年12月号より)。

◆会津の命運を決めた白河口

「会津戦争で一番大事な転換点が、白河城の争奪戦。奥州街道を那須塩原の方から7〜800の薩長兵が攻めてくることは分かっていた。それにどう対抗するか、だった」。

 星さんの口調が熱を帯びる。
「行ってみると分かるけど、白河城の濠は狭い。外からドンドン大砲で撃たれちゃうような城です。だから、守りの城にはならない。そこを獲り合ってもムダだった」。

 戦場慣れした新選組の隊士が、ゲリラ戦に徹して那須方面に夜襲をかければ、徴発された農民が多い薩長軍は人夫が逃げ出して補給が滞る、と提案すると、会津軍司令官の家老・西郷頼母が《卑怯なことはやらない》と否定してしまう。当然、戦意は低下する。
 対して「新政府軍は金をバラまいて、夜のうちに先鋒隊を白河城下に潜入させてしまう。城を囲む山に大砲を据えて撃ちまくる。《まるで鶏を撃つように》派手な陣羽織を狙って鉄砲で撃つ。会津軍の指揮系統がガタガタになる。そもそも西郷頼母は戦争を知らない」。

 
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