イラスト/フォトライブラリー
江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

    ある大名家の屋敷は品川にほど近かった。
 天保十一年(1840)ころのことである。勤番武士が品川の女郎屋の遊女と馴染みになり、かよい詰めるうちにあちこちに借金もでき、にっちもさっちもいかなくなってしまった。いまでは屋敷の噂になっており、このままでは何らかの処分はまぬかれまい。

 武士はきょうを最後と決めて遊女に会うと、窮状を打ち明け、
「もう、こうなったら死ぬしかない」
 と、切々と訴えた。遊女は涙ながらに言った。
「あなたが死ぬと言うのなら、あたしもお供をいたします」
「そうか、うれしいことを言ってくれる。では、今夜、みなが寝静まるのを待って抜け出し、海に飛び込もう」
 急な展開に遊女はあわてた。一緒に死ぬと言ったのはその場しのぎであり、心中する気などさらさらなかった。

 夜がふけ、ふたりはそっと女郎屋を抜け出し、海岸まで来た。ところが、武士は女の態度からとても本気とは思えない。そこで、女の本心をためしてみることにした。
「追っ手がくると面倒だ、拙者が先に行くぞ」
 武士は海に飛び込み、浅瀬からうかがっていた。すると、遊女はくるりと背を向けるや、女郎屋に走って戻って行った。
 悔しくてたまらぬ武士は、死ぬにしても女に恨みを晴らしてから死にたいと、ひとまず屋敷に戻った。

 同輩たちはずぶぬれの姿を見て、口々に問いかける。武士はいきさつをすべて打ち明けた。
 話を聞き、あきれ果て、愛想を尽かす者もいたが、なかには同情する者もいた。武士が女を懲らしめたいと言うと、数人が協力を申し出た。こうして、相談がまとまる。

 
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