仏教の受容をめぐる物部氏との宗教対立のほか聖徳太子とも対立したといわれ、王権奪取を目論んだとして滅ぼされるに至る蘇我氏の系譜。悪者として描かれることの多い一族の再評価を試みる。
奈良県明日香村にある石舞台古墳。埋葬者は蘇我馬子といわれている。

蘇我氏の「悪事」は創作だった!
日本書紀に描かれる「功労者・蘇我蝦夷」

『日本書紀』は、推古天皇の没後、その後継の座をめぐって紛争があったことを克明に記す。それは、推古の遺詔によれば次期天皇は田村皇子だったのであるが、聖徳太子のむすこの山背大兄王が強硬に自身の即位を主張したので、事態が紛糾したというのである。しかし、蘇我馬子の跡を継いで大臣となった蝦夷があくまでも前天皇の遺詔を奉じて田村の即位を実現させ、ここに舒明天皇が誕生したと記す。

 このように『日本書紀』は、蘇我蝦夷が舒明擁立の功労者であったと強調し、彼を好意的に描いているのである。しかし、それが舒明の跡を継いで即位した皇極天皇(女帝)の治世になると、蝦夷やその子入鹿は一転して以前とは異なる、極悪人として描かれるようになる。

 
次のページ 皇極天皇の治世における記述