日本には、季節や節句に合わせた年中行事が古くから数多く存在する。しかし、なかには時代とともに廃れたもの、意味が変わったものも少なくない。江戸から現在までの庶民のイベントの様子を、絵や写真とともに振り返る(雑誌『一個人』2018年1月号より構成)。

口実は何でもいい
祭りが大好きな日本人

 明治5年(1872)に太陽暦を採用するまでは、日本では太陰太陽暦を用いていた。
「旧暦を知らないと、古来の行事の意味がわからないものが少なくありません。特に、立春・立夏・立秋・立冬の四節分と、その直前18日間の土用と呼ばれる時期に行事が数多く行われていたことは、当時の季節感を理解するためにぜひ知っていただきたいですね」。
 そう語るのは、民俗学者で岡山県宇佐八幡神社の宮司でもある神崎宣武さん。

 また昔からある行事は旧暦に合わせて作られているため、七草粥の日に七草がない、桃の節句に桃の花がないなど、日付と季節感にズレが生じることもしばしば。お盆もその一例に当てはまる。
「明治政府は太陽暦に変えると号令しましたが、庶民は旧暦のままお盆を行いました。そこで当時の東京市長が通達を出し、東京周辺は新暦7月に行うようになったのです」。

豊作や商売繁盛など祈願した初午祭 書画五十三次「王子稲荷初午」(歌川広重)

 ただ、このように昔から続く行事の日時が変更されることは珍しいことではないそうだ。
「江戸時代には武家に都合よく由来が後付けされることがありましたし、明治以降も事情は同じです」と神崎さん。時代ごとに都合のいいことを取り入れて、継続する行事が少なくないという。
「花見は、田の神を勧請する行事に由来するといわれます。今では宴会のみが残されていますが、昔から日本人は口実を作って騒ぐのが好きだったのでしょう」。
 実際、ハロウィンのようなイベントも定着しつつある。人々が大勢で集まるきっかけを求めているのは変わりないようだ。

 

「とはいえ昔は、たとえ方便だったとしても、祭りの由来や意義を若者に説く年長者がいました。今はそれがないのが残念です」。
 過疎化が進む地方では、祭や行事を伝えるコミュニティの存続自体が危ぶまれている。
「祭りとはもともと食べ物を振る舞う場でもありました。唐津の“おくんち”のように、観光客も巻き込んだ振る舞いを行うところは、衰退することなく存続しています」。
 暦法が変わり、生活環境も急激に変わった日本の近代。江戸以前の行事の本質を見つめ直すことで、日本文化の多様性と豊かさに再認識できるに違いない。

雑誌『一個人』2018年1月号より構成〉