いまや世界に名を轟かす日本のアニメや漫画。なぜここまで世界を魅了したのか。『日本人はなぜ外国人に「神道」を説明できないのか』の著者、山村明義氏は戦後日本のアニメ・漫画文化を作ったのは“神道”だと語るがそれはどういうことなのか?

バーチャルな世界に強い日本人

 日本人の強さでもある「バーチャル」な部分と「リアリティ」の部分を両方兼ね備え、つないで来たのが、実は神社あるいは神道だったのではないでしょうか。

「もし日本に神道がまったくなければ、戦後日本の優れた漫画やアニメ文化もなかった―」というのが私の考え方です。

 実際に、最近のアニメや漫画では、神様をテーマにしたものがよく見受けられます。

 京都の伏見稲荷大社を舞台にした『いなり、こんこん、恋いろは。』(よしだもろへ)では、宇迦之御魂大神などたくさんの神々が登場します。

 少し古いですが、『ぎんぎつね』(落合さより)でも、小さな稲荷神社で人間と神使(神の使い)である狐が交流するという心温まる物語です。つまり、日本人は「見立て」による擬人化が上手なのです。

 また、小説でも、『有頂天家族』(森見登美彦/幻冬舎)は、京都・下鴨神社の糺ノ森に住む狸と天狗が人間社会に紛れて暮らしているという筋立てです。作者の名前の「登美彦」は、神武天皇と戦った長髄彦のいた大和(現在の奈良)登美山になぞらえているといいますから、これは作品も作者名も、「見立て」が使われているといえるでしょう。 

 ほかにも『神社のススメ』(田中ユキ/講談社)などソフトな神道漫画もあり、神々によって引き起こされる自然現象や怪奇現象をテーマにしたものを含めれば、その数は数えられないほどです。

 

 さらに一般の小説、ネットでのファンタジー小説などの「神道小説」も引きも切りません。これは日本人の深層心理に、深く神社や神様が入り込んでいるということの表れでしょう。いずれにしろ、日本の「大らかさ」とは、八百万の多くの神様を信じて良いという「寛容性」から来ていることが多いのです。

 ところが、このバーチャルな世界構築も、神道の先人たちは行っていました。