アメリカの連邦議会は一九一九年にコミンテルンが創設された当初から強い警戒心を抱いていた。しかし…最後はソ連の秘密工作員たちによって内側から散々に食い荒らされてしまう。『日本は誰と戦ったのか』 を上梓した江崎道朗氏が解説する。

■すさまじいソ連の工作

 かくしてソ連・共産主義の脅威や、ルーズヴェルト民主党政権内部における
ソ連のスパイたちの暗躍を追及することは、マスコミやアカデミズムではタブ
ー視され、保守派が内部で隠れるようにして研究と議論をするだけにとどまっ
てきたのです。

 ところが、一九九五年、アメリカ政府が公開したヴェノナ文書によって、ル
ーズヴェルト政権内部にソ連のスパイたちがいたことが「事実」であると判明
しました。

 アメリカのサヨク・マスコミから全否定されていた、チェンバーズやベント
レーの証言は大筋で事実だったことが立証されただけでなく、ソ連の工作がそ
れまでに考えられていたよりはるかに計画的・体系的で強力なものであったこ
とが明らかになったのです。マッカーシー上院議員の告発も、内容自体はほぼ
正しかったことが現在では判明しています。

 その結果、アメリカでは、一九九一年のソ連崩壊後、エリツィン大統領がソ
連時代のコミンテルン・KGB文書の一部(リッツキドニー文書と呼ばれる)
を西側研究者に公開したこともあいまって、ルーズヴェルト政権やその後継の
トルーマン政権の実態解明が進み、当時に関する歴史観の見直しも急速に進ん
でいます。

 また、マッカーシーへの批判があまりにも強かったことから、一九四〇年代
後半から一九五〇年代にかけて、アメリカの連邦議会の下院非米活動委員会や
上院国内治安小委員会などで議論されたソ連のスパイ工作を巡る膨大な証言録
や報告書はこれまで、「反共ヒステリーの時代の産物」として軽視されてきた
のですが、ヴェノナ文書公開によって、これらが貴重な情報の金鉱であること
が改めて浮き彫りになりました。

 現在の目でこれらの議会記録を読み返してみると、戦後間もない頃からすで
に、かなり真相に迫っていたことに改めて気付かされます。

 議会の証言録は、太平洋問題調査会(Institute of Pacific Relations, 略称IPR)というシンクタンクひとつを扱ったものだけでも五千ページに達しています。

 

 この太平洋問題調査会は戦前、ルーズヴェルト政権と連携して日本の中国「侵略」宣伝を繰り広げたシンクタンクとして有名ですが、その研究員の多くがソ連と中国共産党のスパイであったことがヴェノナ文書によって明らかになっています。

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