「お風呂に入る」といえば、かつては銭湯へ行くのが主流だった日本。いったいいつから、どのようにして「内風呂」文化は生まれ、広まっていったのか。コラム「我が家の風呂の戦後史」、第2回は内風呂が爆発的に普及した昭和40年代を振り返る。

◆戸建て住宅やマンションに風呂があるのが当たり前に

「昭和40年(1965)になるとガスを燃やすために必要な給気と排気を、二重の給排気用煙突で行う“バランス型風呂釜”が量産されるようになりました。この方式だと浴室内の空気を使わないですむので、安全性が増したわけです。同時に、ハンドルを回して乾電池で連続放電し、ガスに点火する方式も取り入れています」。
 東京・小平市にあるガスミュージアムの副館長で学芸員の高橋豊さんはそう話す。“バランス”とは、温まった空気が上昇して屋外に排出されて、自然に気圧が下がった釜の部分に空気が流れ込むように設計されたもの。バーナーの燃焼部分を密閉してあるので、不完全燃焼による事故も予防できるようになっていた。

「バーナーのところにある透明な窓で、種火に着火したのを確認してからガスに火をつけてください、と注意書きがありました」。
 松戸市立博物館には5300戸を超える大規模な常盤平団地(昭和35 年/1960入居開始)の一室を再現した展示があり、バランス型風呂釜と木桶の浴槽がある、と高橋さん。

 

 バランス釜が普及した背景には、昭和40年に住宅公団(現UR都市機構)が採用したことも大きく影響していたのだ。その後、浴槽の材質も進化し、木桶風呂からホーロー浴槽、FRP(繊維強化プラスチック)、ステンレスなどの量
産できる素材が採用されていく。
 昭和40年代半ばになると、風呂釜にシャワーが付くようになり、浴槽から汲んだ湯でシャンプーや石鹸を洗い流す必要がなくなった。昭和40年代後半には、都会のアパートでも、内風呂は8割近い設置率になっている。
「風呂釜はその後も改良されていって、ファンを使って強制的に給排気する方式が開発され、続いて屋外に設置されるRF式が一般化していきます」(高橋さん)。

 湯の国(http://yunokuni.com/)「我が家のお風呂五十年史」より

 風呂場の外に風呂釜が出るようになると、浴槽は大きくなり、より快適なバスライフを楽しめるようになった。同時に、シャンプーも香りにこだわったもの、フケとりなどの機能にこだわったものなどが登場してくる。昭和58年(1983)には、炭酸ガスのはたらきで温浴効果を高めると謳った入浴剤・花王「バブ」も売り出された。平成2年(1990)になると、ツムラの入浴剤「日本の名湯」シリーズのCMで、座敷に風呂があるという突飛な設定も登場した。
「大型給湯機が広まると、浴室はグレードアップしてゆきます。ただ入浴したり、洗髪したりするだけではなく、リラックスするための空間に進化し、浴室はどんどん多様化してゆきました」。

〈雑誌『一個人』2018年2月号より構成〉