第二次大戦期に「戦車大国ドイツ」で生まれた、ティーガーI。敵戦車を噛み砕く「戦場の猛虎」の誕生と活躍を描く連載、第1回。
フェルディナント・ポルシェ博士。世界的な名車フォルクスワーゲン・ヴィートルの設計者として知られるが、ヒトラーと懇意だったため、第二次大戦中は戦車や軍用車両の開発に従事した。

ヒトラーが望んだ「猛虎」の誕生

 第一次大戦に敗れたドイツは、フランスやイギリスなどの戦勝列強が一方的に策定したヴェルサイユ条約によって軍備を著しく制限され、その一環として戦車の生産と保有を禁じられた。しかし海外での開発を継続して戦車技術の断絶を防ぎ、1935年3月16日、ヒトラーによってドイツ再軍備宣言が発せられると、彼の肝入りもあって戦車を急速に戦力化した。

 第一次大戦の「軍事遺産」を引きずる戦勝列強とは違ってドイツの戦車配備はゼロベース立ち上げとなったが、それが新生ナチス・ドイツにはかえって幸いした。戦車戦の中心となる主力戦車と、それをバックアップする支援戦車のコンビをワンセットとし、主力戦車が旧式化すると、より強力なそれまでの支援戦車を主力戦車の座に「下位スライド」させ、空いたポジションに新規の支援戦車を配するという考え方である。

 こうして、習作を兼ねた7.92mm機銃装備の主力となるI号戦車と、それを支援する20mm機関砲装備のII号戦車のコンビがまず配備され、戦車が単に歩兵陣地突破用兵器としてだけでなく、対戦車戦も戦わねばならなくなってきた時点で、徹甲弾も撃てるII号戦車がI号戦車に代わって主力化。支援戦車としてIII号戦車が登場するが、世界の戦車の急速な性能向上を受けて、ドイツ陸軍の思惑としては、I号戦車とII号戦車のコンビを、一気に主力のIII号戦車と支援のIV号戦車へと置き換えたかった。

 

 しかし第二次大戦の開戦で急激に大量の戦車が必要とされたため、スムーズな車種改変が困難となってしまったのである。だが同大戦勃発前、ドイツはIII号戦車とIV号戦車の「主力と支援」のコンビの上位に、より強力な突破重戦車を配することをすでに考えていた。そこで1937年初頭、ドイツ陸軍はヘンシェル&ゾーン社(以降ヘンシェル社と略記)にDW1重戦車の試作を発注。ちなみにDWとはドイツ語のDurchwagen、つまり突破車の頭文字であり、1号突破重戦車ということである。そしてDW1の完成前にDW2の試作も進められたが、これがティーガーIの原点となった。