第二次大戦期に「戦車大国ドイツ」で生まれた、ティーガーI。敵戦車を噛み砕く「戦場の猛虎」の誕生と活躍を描く連載、第2回。
ポルシェが生み出した「もう1頭の猛獣」。当初は本人のファーストネームのフェルディナントと呼ばれたが、のちにエレファントへと改名された。 

ドイツの最先端戦車技術が生み出した「2頭の猛獣」

 1938年9月、ドイツ陸軍兵器局はヘンシェル社に対し「30tの試作1号車」という意味のVK(全装軌式車両の略号)3001(H)を発注。一方、ポルシェ社にはVK3001(P)が発注され、競合試作となった。ちなみに、末尾の(H)と(P)はそれぞれの社名の頭文字である。その後、両社のVK3001はVK4501(H)と同(P)へと発展し、前者が選ばれてティーガーIとなる。

 戦車好きで知られたヒトラーの53歳の誕生日プレゼントとして、1942年4月20日、ラステンブルクの森の中に設けられた総統大本営ヴォルフスシャンツェで、VK4501(H)とVK4501(P)のお披露目が行われた。この際、ヒトラーは露骨に後者を贔屓。そして、速度は犠牲にしても、より重装甲と強火力を備えた戦車が有利だという、以前からの持論を開陳した。
 だが、いくらヒトラーがポルシェをお気に入りとはいっても、VK4501(P)はあまりに不具合が多かったため、軍需省が設立したティーガー委員会は1940年10月末にVK4501(H)の採用を勧告し、これが認められた。

 

 ところがヒトラーは、ポルシェ社を率いるチェコ生まれのフェルディナント・ポルシェ博士を優遇していたせいで、VK4501(P)は、車体だけ生産が先行してしまっていた。これを無駄にするのはもったいないので、カーゼマット式戦闘室を結合し、同じ8.8cmの砲腔口径ながら長砲身71口径で、弾薬の薬莢が大きく発射薬量が多いPak43/2を搭載したフェルディナント(のちにエレファントと改名)重駆逐戦車として再生。90両が限定生産され、重装甲で強火力の強力な車両として実戦に投入された。
 一方、VK4501(H)のほうは細部に修正なども加えたうえで量産へと移行。1942年4月から生産が開始された。当初はPzkw VI Ausf. H(VI号戦車H型)Sd.kfz.181と称されたが、1943年3月からPzkw VI Ausf. E(VI号戦車E型)Sd.kfz.181、またはティーガーIに改名され、この「ティーガーI」の名称が制式となった。