皇位継承の証として歴代天皇が受け継いできた宝物「三種の神器」。その神宝をめぐって、平安末期と鎌倉末期に繰り広げられた2大紛争の実態に迫る。
八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の宝物を「三種の神器」という。

朝廷と平家の争いは決着を見たが……

 平氏に持ち去られた三種の神器は、一体どうなったのであろうか。
 都落ちした平氏一門と安徳天皇らは、西国を目指して再起を期している。しかし、平氏は一の谷合戦で敗れると、次に戦いの舞台を屋島に移した。ここでも平氏は敗北し、壇ノ浦へと落ち延びた。壇ノ浦の合戦が行われたのは、元暦2年(1185)3月24日のことである。
 壇ノ浦の合戦が始まると、平氏は不利な戦いを強いられた。いよいよ敗北という段になって、安徳天皇祖母の二位尼が宝剣を持って入水し、続いて侍女の按察局が天皇を抱えて入水したのである。

 神璽の箱については、海上に浮かんでいるところを確保することができた。神璽と鏡については、幸いにして何とか確保したのである。しかし、宝剣が海底に沈んで戻らなかったことは、大変な問題となった。
 追討の先頭に立った源義経は、西国へ出立する前に後白河に召され、三種の神器を無事京都に持ち帰るよう命じられている(『源平盛衰記』)。これに対して義経は、三種の神器の確保を確約しているのである。したがって、宝剣を失ったことは、義経をはじめとする征討軍の大きな失策だったといえよう。

 
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