皇位継承の証として歴代天皇が受け継いできた宝物「三種の神器」。その神宝をめぐって、平安末期と鎌倉末期に繰り広げられた2大紛争の実態に迫る。
八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の宝物を「三種の神器」という。

皇位の正統権をめぐり北朝と南朝の争いが勃発

 光厳上皇が入京して2ヶ月後の8月15日、光明天皇の践祚が行われたが、三種の神器は後醍醐が持ち出していた。それゆえ、光明の践祚は、光厳法皇による宣言(太上天皇詔)で処置している(『匡遠宿禰記』)。この剣璽なき前例による践祚は、武家つまり尊氏の要請によるものであった(『建武三年以来記』など)。
 その後の後醍醐方の戦いは不利な展開を見せており、同年8月25・28日の決戦では敗北を喫している。
 この機会を捉えた尊氏は、坂本の後醍醐に和睦を申し入れ、後醍醐は同年11月2日に三種の神器を引き渡すことになったのである(『勘例雑々』)。

 三種の神器と引き換えに、後醍醐は太上天皇の尊号を与えられた。また、後醍醐の皇子である成良親王は、皇太子に定められた(『神皇正統記』)。ところが、『続史愚抄』の同年11月2日条には、後醍醐から引き渡された三種の神器が「偽物」であると記されている。
 和睦からわずか1ヶ月後の12月21日、後醍醐は一路大和国の吉野を目指したが、三種の神器も携行していた。吉野に到着した後醍醐は御所を構え、再び天皇位についた(『皇代略記』)。日本には南北に分かれて、二人の天皇が存在することになったのである。

 
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