「今宵の虎徹は血に飢えている」の名セリフで有名な新選組局長、近藤勇の愛刀「虎徹」。果たしてこの名刀を作った名匠とはどんな人物なのか。歴史人3月号では、様々な刀匠について取り上げている。その中から、近藤勇の愛刀を作った長曽根虎徹を紹介しよう。

虎徹を愛刀とした新選組局長、
近藤勇。(国立国会図書館)

「江戸時代前期に活躍した刀工に、長曽根虎徹がいる。虎徹が打った刀は最上大業物の中でも2番めにつける斬れ味を誇った。
『彦根藩並近郷住古聞書』によれば、虎徹の生まれは慶長元年(1596)2月18日、長曽根村で生まれたとされる。一族は郷頭をつとめる鍛冶であったが、関ヶ原合戦の時、越前(福井県)に逃れたという。長曽根の一族は、甲冑・刀・槍・鐔・鐙など様々な金具を作っており、虎徹は鉄硯も作ったという。
 50歳を過ぎる頃、刀鍛冶を志した虎徹は江戸で修行を始める。これが評判となり、額田藩や因幡石見守に仕えた。晩年の虎徹は自由に刀剣を造り、延宝6年(1678)に没した。

 

 虎徹が打った刀の斬れ味に、石灯籠切りの逸話がある。晩年、旗本の久貝因幡守正方から、当時流行りであった無反の刀の注文を請けた。虎徹が加賀屋敷へ持参すると、その不格好さから切れ味を問われたという。これを聞いた虎徹は、ためし切りに庭にあった松の枝を気合いとともに斬り落とした。ところが斬った音は2度。よく見ると、松の下にあった石灯籠をも真っ二つにしていたという。これだけ鋭いのであればと満足した因幡守だったが、虎徹は「一度疑われたものを献上するわけにはいかない」と持って帰ってしまったという。さすが名刀工とうたわれ、その腕に自信のある男である」(文・山河宗太)

 究極のこだわりを持つ名匠である。

『歴史人』2018年3月号「日本刀大図鑑より〉