NBAのスーパースター、マイケル・ジョーダンのシグニチャーモデルとして生まれた〈AIR JORDAN〉。誕生から30年を超え、その背景や物語を知らずにファッションアイテムの一つとして楽しむ世代も増えてきた。そんな「マイケル・ジョーダンを知らない世代」のためのエアジョーダン基礎講座として、今なお続くナンバリングを順に振り返りながら、歴史を紐解いていきたい。

第7回は、1992年発売の「AIR JORDAN 7」。
AJ7は基本的なフレーム構造をAJ6から引き継いでいるが、インナーには新たにフィットシステム「ハラチ」を採用。さらに、すべてのモデルにナンバリングが入り、アッパーからナイキロゴが消えるなど、シリーズが新たなステージに入ったことを示している。

 

ドリームチームでの活躍により
ついにAJ人気は全世界へと拡大

写真を拡大 すべてのレギュラーモデルにはヒールカウンターに「23」の文字が。ただしこのオリンピックモデルだけは、ドリームチームでのMJ(マイケル・ジョーダン)の背番号「9」に変更されている。

CFの共演者はスパイクからバニーへ

 AJ7のデザインに取りかかる頃、ティンカー・ハットフィールドは街でコンポラリー・アフリカ音楽のポスターを見かける。そして、そこから受けたインスピレーションをもとに、カラフルなソールパターンが誕生することになった。このアウトソールと同じように、タンもアフリカ的なイメージの色彩で仕上げられている。

 

 テクノロジーの面では、当時ナイキがフィッティングシステムとして開発したばかりの「ハラチフィット」を採用。シューズにライクラ素材のインナーブーツを入れることで、抜群のフィット感と足入れ性を実現した。また、従来のクリアソールとビジブルエアを廃止することで、シューズ全体がより戦闘的なイメージとなっている。

 このシューズのプロモーションは、ワーナーブラザーズとのコラボレーションで行われ、MJ(マイケル・ジョーダン)はアニメーションのバックス・バニーと共演。コラボアイテムも発売されたが、MJの「AIR JORDAN」に対して、バニーは「HARE(野うさぎ)JORDAN」というニックネームでTシャツやスタジャンなどに登場している(上図参照)。

 ’92年、日本ではバッシュを中心にしたスニーカーブームが巻き起こるが、人気の面でその頂点に立っていたのは、もちろんAJ7だった。さらに、このAJ7のオリンピックモデルを履いてMJがバルセロナ五輪に出場したことで、AIR JORDANの名は世界規模で知られるようになり、その人気もピークに達した。