「踊り子の画家」ドガが、親友マネを怒らせ、引き裂かれた肖像画とは? 若き日のピカソが、亡き親友との思い出の海を舞台に選んだ作品とは…有名画家の創作秘話や驚きの技法を楽しめる傑作を紹介する。今回取り上げるのは、ミレーの『ポーリーヌ・V・オノの肖像』(雑誌『一個人』2018年3月号より)。

若くして亡くなった愛妻ポーリーヌ

 1日の労動の終わりに祈りを捧げる農民の夫婦を描いた《晩鐘》や、3人の農婦が腰をかがめて落ち穂を拾う《落ち穂拾い》などの作品が知られるミレー。35歳の時に家族とともにパリ郊外フォンテーヌブローの森近くのバルビゾン村に移住して、亡くなるまで制作を続けた彼は、「バルビゾン派」の画家といわれるが、村の風景を描いた他の画家と違い、そこで労働する農民に心を寄せた。ただし本作は、彼がまだ故郷シェルブールで生活のために肖像画を描いていた頃妻に迎えた仕立て屋の娘、ポーリーヌ・ヴィルジニ・オノをあらわした作品だ。
 シックなドレスに身を包み、小動物のような愛くるしい顔を4分の3だけこちらに向けて前で手を組む彼女のポーズは、レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作《モナ・リザ》を思わせる。泣いた後のようにポーリーヌの目が潤んでいるのは、ミレーが好んだ17世紀のスペインの画家、ムリーリョの影響といわれている。
 結婚の翌年、ポーリーヌは夫とともにパリに出た。しかし都会の生活や貧乏暮しに耐えられず、結核のため22歳でこの世を去った。

 

バルビゾン村では子育てにも奮闘

 ミレーは子沢山で、9人もの子供がいたことが知られている。しかしこの9人は、ポーリーヌが亡くなった直後に知り合った家政婦カトリーヌ・ルメールとの間に生まれた子供たちだ。名のある農家であったミレーの実家が、身分がつり合わないことを理由に結婚に反対したため、ふたりは駆け落ち同然でパリに逃れ、その後、バルビゾン村での貧しい生活の中で子供たちを育てながら、たくましく生きていった。
 そんな画家の生涯を知った後にあらためて観るポーリーヌの肖像は、若きミレーの、幻影のように儚なかった愛の記録のようにも思われる。

まるで泣いた後のように潤んだ瞳をした、愛くるしい表情(『ポーリーヌ・V・オノの肖像』1841~1842年頃  山梨県立美術館蔵)

雑誌『一個人』2018年3月号より構成〉