もう今から20年前になる。1998年、長野オリンピックの名シーンと言えば、スキージャンプ団体ラージヒル。原田雅彦さんが「フナキィ~」と声を絞り出して祈る中、4人目の船木和喜さんがジャンプを成功させて金メダルを獲得した。船木さんは個人ラージヒルでも金、個人ノーマルヒルで銀メダルを獲得。ワールドカップ通算16勝は日本最多勝利数である。 船木さんは長野オリンピック後に独立しスポーツマネージメント会社を設立しその他、食品事業もはじめアップルパイを手掛ける実業家は、ジャンプの普及、支援活動にも熱心で、指導者の顔をも併せ持つ。そして42歳の今なお現役のジャンパーだ。船木さんの「金メダル後の人生」に迫る。第3回。

【前回まで】
五輪金メダリスト船木和喜が「新宿のビルで上から下まで飛び込んだ」理由
・メダリストは何で恩返しをするのか。船木和喜の答え

■余波を受けた中国製冷凍餃子事件

――2008年に食品卸売会社「えにし」を立ち上げることになりました。この事業収益の一部を支援活動に充てることになります。

 

船木 ある食品会社から餃子の販売権をいただいて……とりあえず動き出してみようという性分なんです。最初は売り上げも良かったのですが、中毒症状を引き起こしたいわゆる〝中国製冷凍餃子事件〟の余波を受けて、餃子の売り上げが厳しくなりました。商売の難しさを痛感しながらも、従業員さんの給料は何とかしなきゃいけない。それで地元の食材を使ったコロッケや札幌で仕入れたドーナツなどを手掛けるようになったんです。「えにし」を立ち上げたのはジャンプの後輩たちの就職先になれば、という思いもありました。

 コロッケを扱うと言っても、最初はじゃがいもの種類さえ分からなかったんです。食べ比べして、自分がおいしいなと思ったものを交渉するという感じでした。こんなにコロッケを食べたら競技に影響しないだろうかってちょっと心配にもなりましたけど(笑)。交渉はやりやすかったです。名刺を渡す前に『あの船木か!』って気づいてもらえるので、オリンピックって凄いなと思ったものです。

 

――今の主戦商品となっているのがアップルパイです。年に10カ所以上は百貨店の物産展を回っているとか。

船木 地元・余市のリンゴで何かやれないかとはずっと思っていました。パイづくりは手間が掛かるので、競合するところが少ないというのも〝やってみよう〟と思ったきっかけでした。

 アップルパイと金メダルの重さはほぼ一緒です。これは『重さが同じだったらいいのに』というお客さんの声から、アイデアをいただきました。バイヤーさんに相談したら賛成してくれて。そこから小さかったパイを大きなものに変えたんです。僕も催事場で金メダルを触ってもらって『どうです? 一緒の重さでしょ』と言うと、興味も手伝って買ってくれることもあります。

――金メダリストが直接、売り場にいて販売することで反響もあると思います。競技を続けつつ、全国を飛び回るのは大変だと思うのですが。

船木 いや、楽しいですよ。売れるときもあれば、売れないときもあって簡単ではないですけどね。催事場って面白いんです。何回も同じ場所でやっていると、従来の商品を求めるお客さんもいれば、新しい商品を求めるお客さんもいます。でもその比率で言えば、新しいものを求めている人のほうが多いのかなって感じます。だからアップルパイに反響をいただいたとしても、次の商品を考えなきゃいけない、と。その作業も別に大変とは思っていなくて、楽しんでやっています。だから個人的には一発当てたいとは思っていないんです。一発当てたら、次が大変になるし、ウチが卸す商品に安心感を持っていただくとともに、継続して買っていただけるような状況をつくっていければいいなと思っています。