文化の街へと発展を遂げた上野の歴史

 

「上野の杜」ともいわれる上野恩賜公園は、1876年(明治9)年に日本初の公園として開園した。ここには、パンダのシャンシャン誕生で賑わう動物園のほか、美術館や博物館もあり、さらには上野東照宮などの歴史的な施設も存在している。江戸時代には寛永寺の領地だった歴史があるが、現在では文化的な施設が集まるエリアとして発展している。
 その理由は、明治以降の動きにある。幕末の上野戦争で焦土と化したこの地は、明治政府により陸軍病院などの用地となる予定だった。しかし、豊かな自然を失うことは間違っていると、オランダ人のボードワン博士が反対。国際都市として発展を目指していた東京には、緑が必要だと政府に訴えかけた。これが認められて、上野の杜が公園として再生することになる。当時の人々はここで、花見などを楽しんでいた。

 明治維新後の日本は西洋化が進み、海外との交流も盛んになった。1873(明治6)年に開催されたウィーン万国博覧会に初めて参加すると、国内での万博開催を求める声も上がり、1877(明治10)年には上野の地で「第1回内国勧業博覧会」が開催されることになる。このとき、美術館という名の施設が登場し、これが日本で初めて造られた美術館ともいわれている。

 
次のページ 文化の街としての地位を確立