「日本的であるもの」が外国人の目には極めて新鮮かつ魅力的に映ることである、そう考えると、漫画やアニメだけでなく、ファッションの面でも同じことが言えるだろう。
これまで日本のファッションが西洋をはじめとする世界のシーンに影響を与えてきた歴史こそ、クールジャパンの始まりかもしれない。ここでは1970年代以降、日本人デザイナーによるファッションブランドが、次々とヨーロッパのファッションシーンに影響を与えていった軌跡を、全3回にわたり振り返っていきたい。

第2回は1980年代。ヨウジ ヤマモトの山本耀司とコム・デ・ギャルソン川久保玲、二人の日本人が世界に衝撃を与えた時代を回顧する。

日本が世界に与えたディープインパクト!
ヨウジ ヤマモトとコム・デ・ギャルソン

'70年代が高田&三宅の時代なら、'80年代はこの二人の時代だった。

 プラダやグッチの影響からミラノ、ラルフ・ローレンやカルバン・クラインの成長からNY、それぞれの地で新たなファッションの流れが台頭していた1980年代。日本とてその例外ではなく、'70年代の高田賢三、三宅一生に続く新たな才能、世界で勝負ができる日本人デザイナーが登場する。それが「Yohji Yamamoto」の山本耀司と、「COMME des GARCONS」の川久保玲である。

 山本と川久保はともに1981年にパリコレクションでデビュー。彼らの作る洋服は、構造、シルエット、生地の組み合わせから見ても明らかに非西洋的で、色彩はダーク、ボロのように穴の空いた加工、アシンメトリーなデザインは“黒の衝撃”“東からの衝撃”と言われ、その後、黒を全面に打ち出すファッションは世界的に流行することとなる(日本では「カラス族」などと表現された)。

 

 山本耀司と川久保玲に影響を受けたと口にするデザイナーに、マルタン・マルジェラやジョン・ガリアーノといった錚々たる顔ぶれが並ぶことからも、その衝撃の度合いをうかがい知ることができるだろう。その後、山本は「Yohji Yamamoto」のコレクション展開以外にも、銀行や鉄道の制服デザイン、オペラ『トリスタンとイゾルデ』の衣装や世界のキタノ作品の映画衣装を手がけるなど、ジャンルレスに活躍。近年では彼が手がけるアディダスのスポーツブランド「Y-3」なども有名だ。一方の川久保も、設立から現在に至るまで「コム・デ・ギャルソン」の社長を務めており、デザイナーとしては、彼女のほか、渡辺淳弥、栗原たお、丸龍文人を含めた四人体制となっている。

 

次回は1990年代〜2000年代、裏原からクールジャパンの時代をお届けします。