イラスト/フォトライブラリー
江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 千社札の創始者として知られる奇人の天愚孔平は、本名は荻野喜内といい、松江(島根県松江市)藩松平家の家臣として、麹町に生まれた。 
『兎園小説別集』に、滝沢馬琴がみずから天愚孔平に取材して書いた「天愚孔平伝」がある。以下、性に関する部分だけを抜き出し、現代語訳して示す。

 文化九年(1812)のことし、私は百五歳になります。世間では、「たかだか七、八十歳であろう」と取沙汰しているようですが、容貌が若く見えるからでしょうな。
 長寿にはいろんな秘訣があるでしょうが、わたくしの場合、
 風呂にはいらない、
 熱い物を食べない、
 女と交わらない、
 の三つが肝心と心得ております。

 私は子供のころ、若君の側仕えをしておりました。あるとき、朋輩の小姓らが私の体をみなで押さえこみ、手淫をしました。これで初めて手淫を知ったわけですが、その後、自分で三度だけしましたが、それだけです。
 二十歳のとき、初めて女を知りました。夜這いをかけたのですが、熟睡していて、私が果ててもまだ目を覚ましませんでしたな。そのまま、引き返しました。いまでは、女の名も忘れてしまいました。