1930年代、当時新興の航空機メーカーだったメッサーシュミット社によって開発され、のちにルフトヴァッフェ(ドイツ空軍)の傑作戦闘機となった「メッサーシュミットBf109」の活躍を綴る連載。今回は第2回。
Bf109G系列はシリーズ中もっとも生産されたモデルで、写真のG6/R6は両主翼下面に20mm機関砲を収めたガンポッドが装着されており、これをボートに見立てて“カノーネンボート”の綽名で呼ばれた。

世界初のヒット・アンド・アウェー式戦闘機

 ドイツ航空省技術局の要請による新型の単発単座戦闘機の競作に参加した各社のうち、性能的にBf109のライバルとなったのがハインケルHe112であった。当初は最高速度でBf109が勝っており、エルンスト・ハインケル博士は航空省にHe112の性能向上を約束して比較試験の延伸を求めた。このような要望が認められたのは、運動性能や地上での運用にかんして、He112にも優れた点があったからだ。だが結局、Bf109の優位が1936年3月に決まり、1937年初頭には初期の量産型の納品が始まった。

 Bf109が誕生する頃、世界の航空界では、いわゆる軽戦闘機と重戦闘機の概念が語られるようになった。
 その内容をごく簡単に言ってしまえば、軽量の機体に中程度の出力のエンジンを搭載し、運動性に優れドッグファイト式の空戦を戦うのが軽戦闘機。重量のある機体に大出力エンジンを搭載し、運動性よりも速度性能を重視してヒット・アンド・アウェー式の空戦を行うのが重戦闘機である。
 そしてロベルト・ルッサーは、世界で初めてヒット・アンド・アウェー式の空戦を意識して開発された戦闘機として、Bf109を設計したと伝えられる。
 当時はまだ、ルフトヴァッフェのベテラン戦闘機パイロットたちも第一次大戦以来のドッグファイト性能を重視していた。だが自らがパイロットであり航空機設計技師でもあるルッサーは、技術進歩による航空エンジンの出力や機体強度の急速な向上に鑑みて、早晩、ドッグファイトの時代は終焉を迎えると考えたようだ。

 

 運動性には優れるが速度性能に劣る敵の戦闘機を発見したら、高速で一撃をかけて離脱。さらに攻撃を仕掛ける場合は、一定の距離を置いてから反転して再度同様に一撃を加えるというヒット・アンド・アウェー式で戦うBf109は、まさに「メッサー(外科医)の一閃」と呼ぶに相応しかった。
 だが一方で、Bf109は終生改めることができなかった欠点も抱えていた。それは主脚の轍間距離が狭かったことだ。
 当時の戦闘機、特にヨーロッパ列強のそれは、戦闘の進捗によって前進したり後退する野戦飛行場で運用されるのが普通だったが、主脚の轍間距離が狭いと、荒れ野などを利用した野戦飛行場での離着陸時に転倒事故を起こしやすく、Bf109もその例に漏れなかったのだ。