1930年代、当時新興の航空機メーカーだったメッサーシュミット社によって開発され、のちにルフトヴァッフェ(ドイツ空軍)の傑作戦闘機となった「メッサーシュミットBf109」の活躍を綴る連載。今回は第4回。
現在も世界第1位のエースであるハルトマンは終戦に際してソ連軍の捕虜となり、「人民の敵」として10年半もの間、厳しい収容所生活を余儀なくされた。帰国後は新生の西ドイツ空軍に入隊し少将で退役している。

Bf109を愛したエースたち

 1939年に初飛行した零戦に比べて4年も先に初飛行をはたし、戦後も1960年代初頭まで第一線で用いられていたBf109(の系列機)は、まさに傑作機と称するに相応しい機体である。
 しかし一方で、ヒット・エンド・アウェー式の空戦術とも相まって、癖のある機体とも評されている。だがその癖を巧みに利点へと置き換えられる者をエースへと導き、結果、多数のエースを輩出した機体ともなった。

 例えば「アフリカの星」の愛称で知られたエース、ハンス・ヨアヒム・ヴァルター・ルドルフ・ジークフリート・マルセイユは偏差射撃の名手で、乗機Bf109G2/Tropの故障による非業の事故死を遂げるまで、その生涯を通じて158機を撃墜しているが、全機ともBf109による撃墜である。
 アドルフ・ヨーゼフ・フェルディナント・ガーランドは、撃墜機数こそ104機と少なめながらバトル・オブ・ブリテンで活躍。以降、戦闘機隊総監を務めたり、大戦末期にはエースを集めたジェット戦闘機隊JV44を率いたりした「ルフトヴァッフェの顔」で、葉巻好きだったため愛機のBf109には専用の灰皿が備え付けられていたという。また、Bf109の後方視界の悪さを改善するため、パイロットの背後の防弾装甲板を積層防弾ガラスに変更したが、この防弾ガラスは彼の名前を冠して「ガーランド・パンツァー」の愛称で呼ばれた。

 

 第二次大戦において、ルフトヴァッフェは「二人のスーパーマン」を産み出した。人類史上、300機以上の敵機を撃墜したエースはこの二人以外に存在せず、今後も出現しないだろうとの実情に基づいて、洒落たジョークでは「オーバー300クラブの二人だけの会員」とも呼ばれる。
 そのうちの一人が、352機撃墜の世界第1位のエース、エーリヒ・アルフレート・ハルトマンで、童顔だったため同僚からは“ブービ(「坊や」の意)”の綽名で呼ばれたが、愛機Bf109の機首を黒のダンダラに塗装していたため、敵のソ連軍からは「ウクライナの黒いチューリップ」として恐れられた。
 もう一人は301機撃墜の世界第2位のエース、ゲルハルト・バルクホルンで、彼の愛機もまたBf109であった。

 メッサーシュミットBf109。
 ルフトヴァッフェが生んだ「蒼空を駆けるメッサー」は、かくてワルキューレとともにゲルマニアの興亡の空を舞ったのである。