大谷翔平がメジャーリーグに移籍し、エンゼルスのユニフォームを着た。日米における注目度の高さはイチロー、松井秀喜、松坂大輔らスター選手が毎年のように渡米した時代を思い出させる。
 10年前、ちょっと違った意味でメジャーリーグ挑戦が大きな話題となった選手がいる。田澤純一。22歳の青年が「自分が成長できる環境はどこかを考えた結果」を人々はあれやこれやと勝手なルールのなかで言いはやした。ただ「MLB」を選択しただけで。
 それでも田澤は屈することなくメジャーでたしかな「成長」を手に入れる。ボストン・レッドソックスで8年(2010シーズンは右ひじの手術で登板なし)プレーし、2013年にはセットアッパーとして71試合に登板、26ホールドを記録するなどワールドチャンピオンに大きく貢献。2016年オフに移籍したマイアミ・マーリンズでプレーした昨シーズンまで5年連続で50試合以上に登板を果たしている。通算登板は日本人メジャーリーガーのなかでも3番目に多い357試合を数えるまでになった(最多が長谷川滋利、2番目が上原浩治)。
 もちろん、ここ数年の内容に不満をいだく向きもあるだろう。それは田澤自身も同じである。渡米10年目の今年、どう成長していくのか。独占インタビューをおくる(前篇)。

■イチローさんとプレーできた幸せ

 

――去年、はじめてメジャーで違うユニフォームを着ました。その感覚はどうでしたか。

田澤 違和感はなかったかな、と思いますね。メジャーで移籍は当たり前ですし、覚悟はしていましたから。不安があったとすれば、選手や監督、スタッフ、はじめて接する人だらけということくらいでした。実際入ってみたらとても若い力に溢れていて和気あいあいとしていてやりやすかったですよ。

――ボストンとの差は感じましたか。

田澤 似ているところがないんじゃないかな……。ボストンはいい意味で管理をしてくれるチーム。選手一人ひとりのケアがあって、例えばシーズンオフのトレーニングメニューも個別に渡してくれます。そういうところが徹底されていたんですけど、マーリンズはどちらかといえば個々でしっかりやりなさいよっていう感じですかね。

――オフの間、ジーターCEOの改革が波紋を呼びました。なかなか難しい状況だと思います。

田澤 よくそれを言われるんですけど、僕もファンの方と情報量が変わらなかったんですよ。(オフは日本にいるから)スポーツ紙を見て「あれ? 彼も移籍するの? 彼も?」みたいな知り方なわけです。

 昨年のシーズン中にもメディアの方から「ジーターに変わりましたけどどうですか?」とよく聞かれました。でも、シーズン中は何も変わってなかったし、ジーターにすら会ったことがなかったので「変わっていない」としか答えられなくて……。だからメディアの方に話せるようなネタがない(笑)。

――そうなんですか。チームメイト内でやり取りがあったりとかは。

田澤 ないない、ないです。内部情報は知らなくてファンと同じように驚いていました(笑)。でも、だからどうってことはないですよ。とにかくチームに貢献するために、やるしかないという気持ちは変わらないです。

――和気あいあいとしたチームというお話でしたが、具体的にはどんなところに刺激を受けましたか。

田澤 それはもう、スタントンやイチローさんのような球界を代表する選手と一緒にできたことは大きかったですね。言葉でこう、と表すことは難しいんですが「ああ、チームの顔、球界の顔っていうのはこういう感じなんだ」という刺激がありました。

――楽しみにされていたイチローさんとのプレーはどうでしたか。

田澤 まず同じチームにいることがスゴイですよね。だって「お金を払うから一緒のチームにさせてください」って言ったとしても実現しないものじゃないですか。僕が小さい頃からみてた憧れの人のひとり、その人と一緒にプレーできたのは素直にうれしかったし光栄でした。

――何か印象に残っていることは。

田澤 残念ながらたくさん喋る機会があったわけではなくて。たまに話してもらうことはありましたけど、自分からはなかなか話し掛けられませんでした。外野手とブルペンの投手では行動パターンが大きく違うのもありましたけど、あれだけルーティンを大事にされている方ですから、その邪魔になってはいけないっていう心理が大きかったですね。

 

 ボストンのころの上原(浩治)さんのようにブルペンでつねに一緒ということであればいろいろ勉強をさせてもらうこともできたんでしょうけどね。ただ、やっぱり野手のイチローさんに対する姿を見るとレジェンドだなと。オズナやスタントン、みんな慕っているというより尊敬、という感じで接していました。
【独占・田澤純一「上原浩治さんに助けられた」

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