NBAのスーパースター、マイケル・ジョーダンのシグニチャーモデルとして生まれた〈AIR JORDAN〉。誕生から30年を超え、その背景や物語を知らずにファッションアイテムの一つとして楽しむ世代も増えてきた。そんな「マイケル・ジョーダンを知らない世代」のためのエアジョーダン基礎講座として、今なお続くナンバリングを順に振り返りながら、歴史を紐解いていきたい。

第11回は、1995年発売の「AIR JORDAN 11」。
AJ10を履いてNBAに復帰したMJだったが、開発にほとんどタッチしていないこのモデルは、彼好みとは言えなかった。そこで、再びハットフィールドと入念なミーティングを行って開発したのが、AJ11だ。これを履いて彼は72勝という偉大な記録を打ち立てる。

 

MJが再び本腰を入れて開発
エナメル仕様のアッパーも話題に

写真を拡大 これまでのAJとまた一気に路線を変えたAJ11。左がオリジナルのミッドカット(分類上、ハイカット表記される場合もある)、右がローカット。

MJが罰金を払ってでも履きたかったモデル

 AJ11を開発するにあたり、MJ(マイケル・ジョーダン)はティンカー・ハットフィールドに「光る素材を使って欲しい」というリクエストを出した。これを元にハットフィールドは、まず光るボディーに布のトップを持つオープンカーのイメージスケッチを描いてみたという。そして、最終的には光る素材としてエナメルレザーが選ばれ、それにメッシュのアッパーを組み合わせるAJ11のスタイルが出来上がった。

写真を拡大 ハイカットを着用したマイケル・ジョーダン。ブルズで復帰したにも関わらず、1stモデルのポイントカラーは青だった。
写真を拡大 オフコートをかなり意識したローカット。口の悪いファンはMJの水虫対策のための通気性だと嘯いたとか。

 MJは'95年のプレーオフにグレーのAJ10を履いて出場したが、幅広デザインのこのシューズは彼のプレースタイルには合わなかったらしく、早く自分に合ったモデル=AJ11を履きたいと思っていたようだ。そして、オーランド・マジックとのカンファレンス・セミファイナル第1戦で、MJは完成間もないAJ11を履いてコートに立つ。しかし、この時にMJが履いたのは白ベースのモデルだった。「選手は全員同じ色のシューズを履かなくてはならない」というNBAのルールに違反していたため、MJには罰金が科せられることとなった。もっとも、その後すぐに黒ベースのAJ11も作られたため、(AJ1のときにように)何戦も罰金を払い続けながら履くというようなことはなかったが…。

 

 MJが復帰し、しかもニューモデルはエナメルを使った斬新なものであったため、AJ11は日本でも大ブレイク。当時のスニーカーブームでは、エアマックス95と並ぶ2大人気騎手となった。