平家滅亡のきっかけとなった
激戦の地・倶利伽羅峠

 長野から上越を経由し、富山湾沿いを走行して金沢へ至る北陸新幹線。そのルートは木曾(源)義仲が平家の大軍を撃ち破り上洛した道に重なる。
 治承4年(1180)、以仁王の「平家追討」の呼びかけに応じ、木曽谷で挙兵した義仲は連戦連勝。北陸に逃れてきた北陸宮を擁護した。越中(富山県)と加賀(石川県)の国境にある倶利伽羅峠に進軍し、平維盛が率いる平家軍と対峙する。
 平家軍は一説に10万と義仲軍の倍。そこで義仲は、密かに別働隊を送って平家軍の背後をとり、夜を待って前後から攻め立てた。平家軍は大混乱に陥り、戦いは義仲の勝利に終わる。

 決戦を制した義仲は北陸方面を席巻し、京へ向けて進軍。源氏一族の中でいち早く入洛、後白河法皇より「朝日将軍」の称号を賜り、一時は天下人に近い存在となる。しかし義仲は後白河法皇と反目、源頼朝が発した追討軍に討たれ、31歳で世を去った。非業の最期であったが、今井兼平など最後まで彼を慕い、共に戦い抜いた家臣も多い。その悲劇性や戦上手の人物像から後世の人気は根強く、義仲寺(滋賀県)や木曾三柱神社(群馬県)など全国に伝承の地が残る。
 富山県小矢部市もそのひとつ。「埴生護国八幡宮」には義仲が奉納した戦勝祈願文が今も残り、地元の人々の篤い信仰を集める。合戦当時、蟹谷次郎など小矢部ゆかりの武将が倶利伽羅峠の案内に立ち、義仲を勝利に導いた。合戦後、蟹谷らは太鼓を打ち鳴らして勝利を祝ったとされ、この太鼓が「源氏太鼓」として現在に伝わるなど義仲に対する地元民の想いは今も強い。
 そして倶利伽羅峠は、源平合戦の騒乱を今に伝える古戦場として名高い。特に地獄谷はその後の平家が辿った道を示すかのような急峻さがある。800年以上を経た今も、民のために戦った義仲の高い志はこの地に確かに息づいている。

源義仲騎馬像/埴生護国八幡宮にたつ銅像。「眉目形はきよげにて美男なり」という源平盛衰記ん記述から美男子であったことがうかがわれる。

問い合わせ先
小矢部市観光振興課 義仲・巴プロジェクト推進斑
TEL/0766-67-1760
FAX/0766-67-1567
URL/http://www.yoshinaka.info/
住所/〒932-8611 富山県小矢部市本町1-1